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国際人権ひろば No.82(2008年11月発行号)

人権さまざま

格差社会の貧困

白石 理 (しらいし おさむ) ヒューライツ大阪 所長

1. すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障がい、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、 保障を受ける権利を有する。
2. 母と子は、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を受ける。
(世界人権宣言第25条)

1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
(日本国憲法第25条)

 かつて、国連の仕事である国を訪れた。首都の空港から町に通じる道で隠れもない貧しさが目に入った。道の両側に広がる掘立小屋の海。そこにたむろする人々。町の中でも状態はあまり変わらない。私のために準備されていたホテルは、その国では、主に外国人が泊まるもの。街で見かけたのとは別世界であった。すべて快適で、清潔、安全に気が配られていた。ホテルから、毎朝仕事のために用意された車で出かけた。政府の建物が集まる地域は別として、貧しさは、当たり前のようにひとびとの日常生活にしみこんでいるように見えた。自分が泊まっているホテルと街の世界との違い、隔たりに居心地の悪さを感じた。

 ホテルのプールサイドで、同僚と夕食をしている時、プールの向こう側にある金網の塀の外側から、じっと中を見つめる子どもたちに気づいた。食べたい物を食べたいだけ食べている塀の中の世界と育ち盛りの子どもに十分な食べ物がいきわたらない世界。私がどちらの世界にいるかは歴然としていた。

 国連の仕事で行ったその「開発途上国」では、政府の人や、政治家との接触があった。ヨーロッパやアメリカの「先進国」で教育を受けた「エリート」であることが多い。仕事の後、家に招かれていくと、門は鉄の扉、高い塀の上には、とがったガラスのかけらが埋め込まれたり、鉄条網が張り巡らされたりしている。銃を持つ守衛に調べられてから、鉄の扉が開く。ごみと埃と雑踏の世界とは、これまた別世界であった。そこには、何台かの高級車、澄んだ水がなみなみとあふれるプール、広く空調された部屋、召使、庭師、運転手、調理人などの住み込みの使用人など、特権の象徴が揃っていた。非の打ちどころのない接待を受けながら、ここでも居心地の悪さを感じている自分があった。

 その国で目撃した、とてつもない理不尽ともいえる格差にうろたえていた私に、「この国では、大多数の貧しい人、かなりの数のどうしようもなく貧しい人、そしてごくわずかの特権を持つ人がいます。中産階級はあまりいません」と土地の人が語ってくれた。住居、食糧と水、医療、教育、治安など、社会が成り立つ基礎条件が整っているのが当たり前ではない世界がそこにはあった。

 世界人権宣言ができてすでに60年。そこで人権とされている権利の保障、人としてふさわしく生きる最低限の生活保障がない国が世界にはまだ多い。先進国がもっと開発途上国に開発協力をしなければという。国と国の間の格差が問題になっている。開発協力は国の中の格差にも目を向けなければという意見も聞かれる。これは人権の問題であるというと意外な顔をされた経験がある。「それは、開発、経済の問題ではないですか」と。

 さて、「先進国」日本である。そこにも貧困がある。ある人の言葉を借りれば、「しんどい、つらい、くるしい」貧困がある。経済成長期にあっては、国民の大多数が「中産階級」と自らを位置づけていた日本社会である。近年日本社会で格差が目立つようになり、もはや無視できない社会問題として議論されるようになってきた。ただ、「格差はあっていい」、「自由競争の結果が格差」と格差を肯定する主張もある。今ここでは、「勝ち組」、「成功者」という人達のことは置いておこう。気になるのは、格差社会が進み、生きづらくなっている人たち、「負け組」、「失敗者」、「落伍者」などといわれる人たちのこと。

 一方で、「貧困」問題や「ワーキングプア」と呼ばれる人たちのことが不条理、不公平な社会構造、体制の現象として語られる。他方で、「フリーター、ニート、野宿者、みんな自分が選んだライフスタイル。自己責任です」という切り捨てから、「国や行政に頼らず、自助努力してほしい」という励ましまでさまざまである。

 世の常であるが、その時々の体制や社会構造から利益を受ける人やグループは、その体制を擁護し、制度を守ろうとする。そこで、格差問題を、成功も失敗も一人ひとりの能力、努力の結果であるという、個人レベルでの「自己責任」に帰する。しかし格差が広がる社会では、個人的な能力や努力ではどうにもならない社会構造、体制がある。社会全体がその是正に取り組まなければ、いずれその社会自体が崩壊してしまう。安全も安心もない弱肉強食の世界。これはもはや社会とは呼べないものである。今の日本社会で、憲法で権利として保障された「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことができない人々がいる。これらの人々にとっては、人権保障は「絵にかいた餅」でしかない。

 アマルティア・センという経済学者がいう。貧困とは単なる物質的貧しさばかりではない。一人ひとりの持つ可能性を奪う、人と人とのつながりまで破壊してしまう、人の尊厳まで否定してしまう、それが貧困であるという。格差の広がりとともに生み出される貧困は、社会全体に関わる問題であり、人権の問題である。

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