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シネマと人権19 : 「命の根源を奪われた」人々の声-「津島―福島は語る・第二章」

小山 帥人(こやま おさひと)
ジャーナリスト、ヒューライツ大阪理事

 東北の大震災で福島の原子力発電所が爆発したのは2011年だから、もう随分の月日が流れた。 
 あのとき、風は北西に向かって流れていた。福島県浪江町の津島地区は福島第一原発の北西30キロ地点にあるため高濃度の放射能汚染物質が降り注ぎ、山も田畑も汚染された。
 村の住民、1400人は津島から追い出され、各地の避難地域にバラバラに住むことになった。今も大半の地域が「帰還困難地域」に指定されたままである。

極貧の生活に耐えてきて
 2015年、住民の半数、およそ700人が「故郷を返せ!津島原発訴訟団」を結成し、福島地方裁判所郡山支部に提訴した。この映画は、訴訟団の人々の怒り、悔しさ、悲しみ、そして楽しかった想い出を丹念に記録したドキュメンタリー映画である。
 語る人たちは、いずれも津島地区に生まれるか、若い時に結婚して津島に住み着いて生きてきた人たちである。とくに満州から引き上げて来た人たちは原生林を切り拓き、極貧の生活に耐えた経験を持つ。やっと生活が落ち着いてきたときに、事故が起きた。食べ物を分かち合い、子どもを見守りあってきた村人たちの結びつきは強い。

親に嘘をついてしまった悔恨
 高齢者は故郷を離れることに抵抗した。当然だろう、春には山菜に恵まれ、夏には蛍が飛び交う美しい自然の中で暮らしてきた人たちだ。その親に息子は「必ず戻って来て、元の生活をさせるから、今はとりあえず私たちの言うこと聞いてくれ」と説得せざるをえなかった。避難した両親はまもなく亡くなり、約束を果たせなかった息子の目から流れる涙が止まらない。
 避難は高齢者にとって過酷だったが、子どもたちにも深い傷を与えた。放射能を浴びたとしてバイキン扱いされる子どもがいた。学校に行こうとせず、部屋の隅っこにうずくまる子どもを見守るだけだったと語る親の悲しみ。
 土井監督は子どもたちにもインタビューする。玲という名前の少年は学校で「玲菌」と呼ばれ、「死にたい」と祖母に訴えた、教師の対応も避難者には冷たいものだったという。

「故郷を返せ」の声は届かないのか
 訴訟の目的は原状回復だが、裁判の判決は、被害補償は認めたものの、完全に除染する原状回復は認めないというものだった。広大な地域の除染の費用を考えれば、補償金で我慢しろということか。
 「奪われた故郷は私にとって命の根源だ。それを返してくれというのは、当然の叫びだ」と語る農民の言葉は届かなかった。
 被災者の短いインタビューはテレビニュースなどで聞くことはあるが、長く聞く機会は稀だ。状況説明が具体的で、感情が豊かな人たちだけに、その声にじっくり耳を傾けたい。

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               故郷について語る人 
               ©︎2023 DOI Toshikuni


<津島―福島は語る・第二章>
監督・撮影・編集:土井敏邦
2023年/ 日本 / 3時間7分
配給協力・宣伝:リガード
3月2日より公開、京都シネマ3月8日より、第七藝術劇場(大阪)3月9日より


(2024年02月26日 掲載)