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国際人権ひろば No.119(2015年01月発行号)

アジア・太平洋の窓

占領地・パレスチナ自治区ガザの残酷な日常

藤原 亮司(ふじわら りょうじ)
ジャパンプレス所属ジャーナリスト

 「国境」の先にある“空の見える監獄”

 
 2014年8月、5年ぶりにパレスチナ自治区ガザを訪れた。イスラエルからガザに入ることができる唯一の通過地点、エレツ検問所は空港のターミナルビルのような巨大な建物だが、人影はほとんどなく閑散としていた。
 パスポートに「出国スタンプ」を押され検問所を出た。しかし、その先にあるのは国ではなく、「自治区」とは名ばかりのイスラエルの占領地に180万人のパレスチナ人が暮らす、四方を海と壁、フェンスで囲われた“空の見える監獄”だ。
 「国境」を越えると、イスラエル軍地上部隊に侵攻されたガザ北部から北東部にかけての地区は、凄まじいまでに破壊されていた。徹底的な空爆や砲撃で、ひとつの町がそっくりがれきの山に変わった場所もあった。これほどまでに徹底した破壊は、2000年9月から5年間激しい戦闘が続いた第二次インティファーダ(イスラエルによる占領への抵抗運動)や、2008年12月から2009年1月にかけての大規模侵攻でも見たことがない。パレスチナ側の被害は、死者2,100人を超え、破壊された家屋は1万8千戸に及ぶ。
IMG_0285ガザ地区北東部の激戦地.jpg
ガザ地区北東部の激戦地、シュジャイヤ地区。ハマスの軍事トンネルを破壊するため、イスラエルは徹底的にこの地区の破壊を行った。(筆者撮影)
 
 

 姿の見えない敵による殺戮

 
 8月10日、ガザ北部ベイトラヒア地区に暮らす男性、アワッダ・アル・アクタールさん(44)の携帯電話に見覚えのない番号から着信があった。電話に出ると、「自宅のある地域を破壊するから避難せよ」というイスラエル軍からの勧告だった。彼は急いで家族を集めて自宅を退去した。大通りに出て車を拾い、家族を乗り込ませたあと、一人で必要最低限の貴重品を取りに自宅へ戻ろうと歩き始めた。そのとき、無人攻撃機からの空爆を受けた。
 意識が戻ったときは病院のベッドの上だったという。彼は自分が両足を失ったことを知り、妻の前で泣き崩れた。
 「すべてを元の状態に戻してくれ。私の体も、ガザの暮らしも」。アワッダは、消え入りそうな小さな声で私に語りかけた。
 「どうしてイスラエルもアラブ諸国も、こんなにもパレスチナ人を嫌うのか。おれたちがどんな悪いことをしたんだ?」そう言って彼は、力なく首を振った。
 イスラエル軍地上部隊とパレスチナの武装勢力が激戦を繰り広げたガザ北部ベイトハヌーン地区では、国連の小学校にイスラエル軍の攻撃が行われ、学校に避難していた7人が命を落とした。学校を管理する職員、エイサ・アラファート・エル・マスリィさん(26)によると、前記男性の場合と同様に、イスラエル軍が事前に学校に電話をかけてきて退避勧告を行ったという。学校側は全員を速やかに避難させるので攻撃を待つように伝え、すぐに大型バスを手配して移送を始めた。しかし全員が退避を終えるのを待たず、イスラエル軍は攻撃を開始。戦車砲と迫撃砲の8発が学校に着弾、7人が殺害されたのである。
 イスラエルは、武装勢力が学校に武器を隠し、そこから攻撃を行っているからだと説明。しかし、エイサさんは「そんな事実は全くない」と憤る。「やつらは避難民を見せしめに殺しただけだ。ハマスを支持すれば巻き添えになるぞ、という警告で殺したんだ」。
 ガザ最大の政治組織ハマスの軍事部門「カッサーム旅団」のアブー・アルバラ小隊長は言う。「この戦争が奇妙なのは、イスラエル軍の姿が見えないことだ。戦車は遠方から砲弾を撃ち込み、空爆で人が殺され、家が壊される。ガザの市民のほとんどが、イスラエル兵どころか戦車や攻撃ヘリの姿さえ見たことがないまま殺されている」。
 今回の侵攻で、イスラエルは事前に携帯電話のショートメールや電話、ビラなどで退避勧告を行い、そのあとに攻撃を開始することが多かった。しかし、数キロ先から飛来する砲弾や、上空から落とされるミサイルは、爆発した場所にあったものを爆風で広大な範囲に飛散させ、甚大な二次被害を生む。壊された家屋のコンクリート、家電製品、自動車の部品…。それらすべての破片が、大きな散弾のように周囲にばらまかれ、人々を殺傷する。仮に、パレスチナ武装勢力が立てこもる家屋をターゲットとしたピンポイント爆撃であったとしても“人道的な攻撃”などありえないのだ。退避途中の路上で、飛散したがれきが直撃し死傷した人も多い。
 
 

 一日中やまない子どもたちの騒ぎ声

 
 家を追われた避難民の生活を知るため、ガザ市内の小学校を訪ねた。5人の子どもを抱えるニスマ・サァダディーンさん(29)は、熱気でむせ返る教室の中で、夫の親族約50人と1カ月以上避難生活を続けていた。自宅は2009年1月に続き、再びイスラエル軍の砲撃で炎上した。「自宅からは十分な衣類も持ち出せなかった。一時停戦のときに自宅に戻ると室内は火災で真っ黒。5年かけて再建した暮らしをまた失ってしまった」。
 長引く避難生活の中で、女性たちは男性とは違ったストレスを抱えて暮らす。イスラムの女性は人前ではヒジャブという顔を包むスカーフのような布を巻く。常に衆人環視にさらされる避難先では、自宅のように楽な服装でくつろぐことはできない。
 「知らない男性が大勢いる中で、気持ちが休まる時間がないことが一番つらい。シャワーを浴びるときも周囲の目に気を遣うし、下着の洗濯も隠れてしないといけない」。子どもたちさえも、母親にとってはときに重荷になる。「一日中、大声で響きわたる子どもたちの声に、頭が割れそうになることがある。叱っても叱っても、どこかで子どもたちが叫び続けている。その元気さに力をもらうこともあるから仕方ないんだけど……」とニスマさんは諦めたように苦笑した。
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ガザ市内の小学校で避難生活を続けるニスマ・サァダディーンさんの親族。一日中、女性たちには気の休まる時間はない。(筆者撮影)

 

 国際社会による占領への加担

 
 ガザの難民支援を続けているUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の配給所を訪ねると、支援物資を求める大勢の人が集まっていた。そこで取材をしていると、英語を話す一人の老人が私に近づいてきて意外なことを言った。
 「いいか、今やガザを“占領”しているのは国連だ。イスラエルはいくらガザの町を壊し、人を殺しても、1ドルの金も払わず何の責任も取らない。それを国連が全部肩代わりし、復興させる。イスラエルの占領を国連が代行しているようなものだ」。
 思い当たることがあった。2008-09年の侵攻で町を壊され、今回被害を免れた地区に行くと、以前よりも立派で大きな家が建ち並び、道路はきれいに整備されていた。これらはすべて、諸外国が国連を通じて行った援助によるものだという。
 また、ヨルダン川西岸地区では国連を通じて諸外国がプロジェクトを立ち上げ、パレスチナ人の雇用支援のための工場や農場経営、土木・建設事業などが行われている。しかしそれらは、イスラエルが占領地に軍隊を駐屯させなくてもパレスチナ人を管理できるシステムを作り上げる手助けにもなっている。
 かつては、パレスチナ人がイスラエルの占領に対して不満を募らせ、抵抗の姿勢を見せた場合は、軍を派遣して力づくでその抵抗を抑える必要があった。それには当然、兵士の危険を伴い、国内世論の反発も起きる。
 しかし現在、イスラエルがパレスチナ人の不満を抑え込もうとする場合、援助を続ける諸外国との政治交渉でプロジェクトをストップさせたり、工場や農場を休業に追い込むだけで、一人の兵士も傷つけることなく、抵抗を抑え込むことができる。手に入れた暮らしを失うか、それでも抵抗をするかの選択を迫るのだ。
 戦争で失った命や財産への緊急支援が欠かせないことは言うまでもない。また、医療や教育、雇用など、長期にわたる支援は非常に重要なことである。しかし、長きにわたる占領が続く中、イスラエルの責任を曖昧にしたまま支援だけを続けていくことが、本当にこの問題の解決に少しでも繋がっているのか、再考する必要がある。
 ガザで暮らすパレスチナ人が言った言葉が印象に残る。「無料で高校まで通えて、卒業して仕事がなくても援助で誰も飢えることはない。そのかわり、どんな仕事がしたいとか、外国に出たいとか、ごく当たり前の望みは何ひとつ叶うことがなく、封鎖されたガザに閉じ込められて生きる。おれたちは家畜じゃない」。
 ガザでは戦争で命を奪われることと同じぐらい過酷な、自分自身を殺して生きなければならない日常がある。