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国際人権ひろば No.86(2009年07月発行号)

紛争地の現場から日本社会に問う Part3

コンゴ民主共和国の紛争と日本 -個人の気づきから社会を動かす

Virgil Hawkins(ヴァージル・ホーキンス)
大阪大学グローバルコラボレーションセンター(GLOCOL)特任助教

 コンゴ民主共和国(DRC)の紛争は、10年以上に渡り、周辺8カ国を巻き込みながら、第二次大戦後に起きた紛争としては世界最多である540万人の死者1を出している。ところが、これほどの規模にもかかわらずメディアが取り上げることは稀であり、特に日本においては、この紛争の存在すら十分に知られていない状況である。
 しかし、DRC紛争は日本と無関係ではない。DRCの豊富な鉱物資源は紛争と密接につながっており、この多くの鉱物資源は電子回路の部品の原料として使われている。そのため、日本の電子産業で使われている原料の入手は間接的にDRCの情勢と絡んでいるからである。
 そこで、日本において、DRC紛争への関心を高め、行動を促すには、この紛争と日本との「つながり」を強調することが一つの戦略として考えられる。このアプローチによって個人の気づきをもたらすことができるかもしれないが、どこまでそのような個人の反応が社会を動かせるのだろうか。
 

DRC紛争の概要


 DRCの紛争は、地方レベル、国レベル、そして地域レベルの紛争が重層的に絡み合っている。紛争の原因もまた、地域の安全保障上の対立、鉱物の採掘権、そして民族のアイデンティティの対立等と、非常に複雑に絡み合っている。DRCは1990年代の前半から不安定な状態が続き、そして1994年のルワンダのジェノサイドからも大きな影響を受けている。
 紛争がもっとも激しくなったのは1998年からだった。DRCのカビラ政権への不満を募らせた隣国のルワンダは、反政府勢力を組織し、ウガンダ、ブルンジと共にDRC侵攻を開始した。ところが、DRC政府は周辺数カ国(アンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャド、スーダン)から直ちに軍事支援を得ることができ、侵攻が引き止められ、不安定な膠着状態が続いた。
 国連平和維持隊が派遣され、そして2002年に和平合意が成立した。2003年には周辺国軍の撤退が完了したが、政府軍と国内の新反政府勢力との戦いが激しくなり、地方レベルでの紛争が続いた。2009年には最大の反政府勢力との和平合意ができ、状況がだいぶ落ち着いたが、紛争は部分的に続く。
 この紛争から最も被害を受けているのが一般市民である。攻撃を受けると、一般市民の多くは着の身着のまま、森や山へと避難する。そこでは食べ物、水、住居、薬や保健サービスはなく、多くの人はマラリア、下痢、その他の病気にかかり、あるいは飢えで苦しむことになる。そのため、紛争の死亡者の9割以上は直接的暴力による死亡ではなく、病気や飢えが原因となっている。
 レイプもまた、一般市民に恐怖を植え付け、そして人間性を貶める破壊的な武器となる。東部のいくつかの地域では、女性の70パーセントがレイプの被害2にあっているとされる。/p>

廃れた工場を住居としている国内避難民(筆者撮影)
廃れた工場を住居としている国内避難民
(筆者撮影)

紛争への対応


 DRC紛争に対して、これまでの日本での対応はどのようなものだったのだろうか。日本政府のODAから見ると、対応はわずかである。例えば、死亡者数で比較すると、コソボ紛争はDRC紛争の500分の1の規模だが、日本のコソボ紛争への1年分(1999年)の緊急支援はDRC紛争への緊急支援の10年分に相当する。
 日本のメディアもまた、DRCに関する報道が稀で、ほぼ無視されている状態である。例えば、2000年に読売新聞が国際面で取り上げたアフリカ関連の記事は、国際面全記事面積の2パーセントに過ぎなかった。そのせいか、一般市民のDRCに対する知識も意識もほとんどない。2008年に151人の大学生に「世界の最も多い死者数の紛争はどこ?」と調査したところ、正解であるDRCと答えられたのは一人もいなかった。
 知られず、かつ関心を持たれないことは、人道援助の欠如を引き起こし、適切な対応があれば救える命が、飢えや下痢、マラリアによって奪われている。知られ、そして関心を持たれることで、民間組織、政府、国際機関が動き、対応への道が開かれ始める。
 

日本とのつながり


 DRC紛争は一見、日本と関係がない紛争だと思われるが、電子産業に使われている原料はDRCに豊富にあるということで、日本の電子産業も無関係ではない。日本はこれらの原料を直接DRCから輸入しているわけではないが、日本から見てもこのような鉱物資源の入手はDRC情勢に関係している。例えば、電子回路のコンデンサに使われているタンタルという鉱石の推定埋蔵量の6割以上はDRCにあると言われており、リチウムイオン電池にも使われているコバルトの場合、世界の5割以上はDRCで生産されているということもある。
 2000年に世界中の携帯電話ブームが一因となり、世界でタンタル不足が発生した。また、同年に、ソニーのプレイステーション2が発売されたが、このタンタル不足の影響もあり、供給が需要に追いつかなかったと言われている。また、このような携帯電話やゲーム機などから発生した需要があったため、タンタルの値段が跳ね上がり、DRCにおけるタンタルをめぐる紛争が激化した。このように日本の電子産業とDRC情勢は相互に影響し合っている。
 

個人の気づきから社会を動かす


 GLOCOLでは、これまで大学の授業、一般人向けのセミナーやイベントなどを通じて、このようなつながりを強調しながら、日本におけるDRC紛争に対する意識を高め、なんらかの行動に結びつけようとしてきた。このような活動に対して、参加者の多くは心が動かされ、「何かしたい」という意思が見えた。
 DRC紛争について初めて知った人からは「もっと知りたい」というコメントが多かった。また、「周りの人に知らせたい」、「携帯電話をたびたび買い替えない」、「電化製品をリサイクルする」という個人でできる行動につながるコメントもあった。人々がこの紛争のことをもっと知ろうとする、もしくはこうした行動を実際にとろうとすることは大変望ましいことである。
 しかし、このような「自分ができることから...」という反応には落とし穴がある。それは問題を構造化せず、「個人」の責任に置き換えてしまうという問題である。DRC紛争への対応を本格的に改善しようとする場合、一人一人の「気づき」と「できる行動」を統一させ、紛争が無視され続けられる状態を可能にしてきた社会の構造における変化を目指す必要がある。
 例えば、DRC紛争について知って、友達や家族に知らせるだけではなく、メディアの報道が増えるように働きかける。あるいは、電化製品をリサイクルするだけではなく、電化製品を製造する企業が原料の入手方法を改善するように働きかける。このような行動ができれば、本格的に社会を動かす力へとつながるのではないだろうか。
 

GLOCOL/ヒューライツ大阪の連続セミナー


 DRC紛争の問題への関心と行動をどう紡ぎだせるか考えるために、6月5日にGLOCOLとヒューライツ大阪が共同でセミナーを実施した。ワークショップ形式で話し合い、グループワークで生まれた数多くのアイディアが参加者の間で議論された。
 例えば、大学生一人一人の意識を高めるだけではなく、関心のある大学生によるグループの結成、そして複数の大学におけるグループの連携を通じて、メディアや企業に働きかけることが挙げられた。また、DRC紛争を取り上げないテレビ・新聞ではなく、比較的にアクセスしやすいラジオを通じて紛争に関する情報の普及を目指す、というアプローチも挙げられた。それからメディアを直接ではなく、メディアのスポンサーとなっている企業を通じて働きかけるというアイディアもあった。

 これからも、このようなアイディアも追及しながら、取り上げられない世界の大きな紛争に対して、個人の気づきだけではなく、社会的インパクトをどのようにすれば実現できるかについて考えていきたいと思う。


1.出典:International Rescue Committee (2008), 'Mortality in the Democratic Republic of Congo: An Ongoing Crisis'(http://www.theirc.org/resources/2007/2006-7_congomortalitysurvey.pdf
2.出典:Jeffrey Gettleman, 'Rape epidemic raises trauma of Congo War', New York Times, 7 October 2007 (Malteser International) の調査によるデータ