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国際人権ひろば No.58(2004年11月発行号)

アジア・太平洋の窓

インドネシア大統領選挙-政治不信とイメージの選挙

櫻井 雅俊(さくらい まさとし) 名古屋大学大学院 国際開発研究科博士後期課程

はじめに


  今年は海外の多くの国で国政選挙が実施された選挙の年であった。特にインドネシアにとっては5年に1度の議会選挙(4月5日実施)だけでなく、大統領を国民の直接投票で選ぶ初めての試みが実現された(7月5日に5候補による第1回投票、9月20日上位2候補による第2回決選投票)という点で歴史に残る選挙の年になった。結果は現職大統領メガワティ候補(得票率約39%)をスシロ・バンバン・ユドヨノ候補(同約61%、以下ユドヨノ)が大差で破り、10月20日正式に大統領に就任した。
  本稿では、この大統領選挙の過程および結果を「選挙運営」、「広がる政治不信・政党不信」、「組織的動員の限界とメディア選挙」の3つのポイントから振り返り、民主化の歩みの中で位置づけていきたい。

選挙運営


  今回の選挙は98年にスハルト政権が崩壊し本格的に民主化が始まって以来、二度目にあたる。一度目の99年の議会選挙は、それまでのスハルト政権下のそれと異なり、自由・公正な方法で実施されたという点で高く評価できるものだが、多数の選挙違反、支持者間の衝突が生じた点で課題を残した。また議会選挙後、議員による間接選挙で選ばれた大統領が、議会選挙の勝利者・闘争民主党を率いるメガワティではなく、宗教組織代表のアブドゥルラフマン・ワヒドであったため、不満を募らせたメガワティ支持者たちによる街頭での大規模暴動未遂事件が起こった。
  今回の選挙運営ではこうした課題はほぼ解決された。それは選挙監視委員会の設置や選挙運動規制などの制度的工夫などによるところが大きい。また大統領選出過程が直接国民の手に委ねられ透明化されたことで、気に入らない結果でも国民の選択として服せざるを得なくなった面もあるだろう。メガワティ候補とユドヨノ候補による決戦投票では、選挙戦の対立激化や敗北を支持者が平和裏に受け入れることができるのか強く懸念されたが、結局は杞憂に終わった。権威主義から民主主義への体制移行においては、政治競合において、選挙という民主主義のルールを受け入れられるかどうかがポイントであるが、二度目の選挙と暴力の介入なき政権交代を成功させたインドネシアはこの点で評価に値する。

明らかになった政治不信・政党不信


  一方で選挙過程における政治不信・政党不信の発露も民主化の歩みの中で見過ごせない問題である。決選投票にまで進んだものの、現職大統領が新人候補に20%以上の得票差をつけられて敗北したことは、国民の前政権への不信・不満の大きさを表している。さらに議会選挙におけるメガワティの闘争民主党の惨敗(前回99年の約34%から約18%への得票率低下)やその他、既成大政党の不振を併せて考えるとき、政治不信・政党不信という問題が浮かび上がってくる。反スハルト体制運動、改革の象徴として国民的人気を背景に登場し副大統領、大統領としてこの5年間政権を担ったメガワティのどこに問題があったのだろうか?
  政府の実績を客観的に評価することは難しいが、物価とりわけ生活必需物資価格の高騰に対して政府が有効な対策を採らなかった点は重要だ。経済危機以降の深刻な雇用不足・就職難と物価高騰は国民各階層に打撃を与えたが、なかでも低所得者の生活を極めて困難にした。この不満が政党政治家の低いモラルへの幻滅と相まってメガワティ政権への不満の決定打となり、更には政治不信を招いたと考えられる。名簿式比例選挙(つまり政党名)で選出されたにも関わらず、金に目が眩んだ政党政治家たちの政治信条・理念を顧みない行動、野放図な議会内での合従連衡の有り様などはかつて政治改革に期待して投票した国民に大きな失望を与えた。汚職・縁故主義・金権政治の撲滅は以前からの政治課題であるが、今に至るもその対策にはほとんど進展がみられていない。ゴルカル党総裁アクバル・タンジュンの汚職事件追及も結局腰砕けに終わった。さらに地方分権により利権が中央から地方へ拡散した結果、こうした問題は今や地方政治家にまで拡大・浸透してしまっている。政党・政治家への幻滅は程度の差こそあれ、すべての既成政党・政治家に対して見られるものだが、その象徴的存在がメガワティ率いる闘争民主党だったのである。対照的に既成政党と慎重に距離をとってきたユドヨノは、既成政党に縛られない大統領候補としてポジティブな評価を得ることになった。

組織的動員の限界


  今回の一連の選挙で最も私の印象に残ったのは、政党をはじめとする政治・社会組織の選挙民に対する動員力の低下である。この点はまだはっきりと検証されたわけではないが、メガワティ陣営がユドヨノとの決選投票に臨んで、ゴルカル党(議会選挙参加24政党中第1位)、開発統一党(同4位)、平和福祉党(同10位)と連立して選挙運動を戦ったにも関わらず、思うように票を集められなかったのが端的な例証になるだろうか。にわか造りの連立が十分に機能しなかったという要因の他に、(1)党、社会組織は地方議員、有力者たちを核にして構築されたもので、彼らの多くは大統領選という全国的イシューに対して直接利益を感じられず、フルに組織を稼働させなかった。(2)スハルト時代の経済成長などによって生じた社会変動の結果、これまでのような方法で個々の投票者を政治的に組織化することが難しくなってきており、動員力に限界が生じた。-などの点が考えられる。

マスメディアの影響力


  伝統的な組織動員に代わり今回の大統領選挙で国民の投票選好により大きな影響を与えたのはマス・メディア、とりわけテレビを使ったコマーシャルや討論番組であった。ある調査によれば、従来言われていた情報流通における農村部と都市部のギャップはテレビの普及によってほとんど解消されたという。私はメガワティ陣営の政治家・活動家とのインタビューで、彼らが選挙民のことを無知で教育の程度が低い、と揶揄するのを何度か聞いた経験がある。しかし実際には大部分の選挙民は選択肢さえ示されれば自らの生活実感やテレビなどから得る情報をもとに、それなりに合理的な判断ができるようになっていたのではないだろうか。こうした選挙民認識と実像とのギャップがメガワティ陣営に誤った選挙戦略を採らせる一因になったのかもしれない。
  一方でメディアを通じた自らのイメージづくりと普及に力を入れたことがユドヨノ候補勝利の一番の要因であろう。ワヒド政権、メガワティ政権と二つの政権で政治治安担当調整大臣を担ったユドヨノ候補は決して無名でも無能でもないが、客観的に見て知名度や実績の点で他の候補に比べて飛びぬけて優位にあったわけではない。また全国規模の政治組織を持っていたわけでもない。軍出身という経歴は扱われ方次第でスハルト時代の人権侵害事件を想起させ、ネガティブなイメージに変わる可能性も孕んでいた。
  しかしユドヨノは選挙委員会主催の公式対話番組をはじめ、民放の討論番組などテレビに積極的に出演し、メガワティに替わる新しいリーダーとして隙のない応対を見せた。人口の約6割を占めるジャワ人に特に好まれる洗練された立ち居振る舞い、受け応えから醸し出される知性、清廉さ、温厚さなど、メガワティからは感じ取ることの困難なこうした要素をテレビを通じて選挙民に直に伝達し、信頼できるリーダーというイメージを選挙民に植え付けることに成功したのである。

展望


  今回の大統領選挙を経てインドネシアの民主化の歩みは問題を含みながらも着実にその地歩を固めたといえるだろう。今後の展開についてはイメージ選挙に端的にみられたように、質的に変化しつつあるインドネシア社会と民主的政治制度との相互作用に注目していく他ない。目下のところ、新たに誕生したユドヨノ政権が、山積する課題にどこまで応えられるのか、が問題であるが、楽観できる要素は少ないようだ。経済再建をはじめ、前政権が手をつけなかった汚職や金権政治対策に取り組み、政治への信頼を回復させることも重要であろう。さらに野放図な地方分権の見直し、治安機構の整備、アチェなどでの地方紛争解決も急務である。ユドヨノ政権は議会の支持基盤が小さく、議会との関係悪化が懸念されている。しかしより問題なのは課題がどんな政権のキャパシティをも超えてしまうほど大きいことである。せめてユドヨノ大統領がイメージ通りの能力を備えた人物であることを祈るのみである。