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国際人権ひろば No.126(2016年03月発行号)

移住者の人権

日本におけるインドシナ難民の現状と課題 -ベトナム人の子どもたちの教育を中心に-

梶田 智香(かじた ちか)
大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程、ヒューライツ大阪インターン

 世界では多くの難民が発生し、ヨーロッパへ向かっているが、日本にいるとどこか遠い国で発生している話のように感じる。そんな日本にも、約35年前に多くのインドシナ難民を受け入れた歴史がある。当時、難民の受け入れに尽力したヘンドリックス(ハリー)・クワードブリット神父と、姫路市立東小学校でベトナム人の子どもたちなどの指導を担当する金川香雪先生にインタビューをする機会を得た。以下、お二人へのインタビューを参照しつつ、インドシナ難民の受け入れの歴史と、ベトナム人の子どもたちの教育の現状について考えていきたい。

 

 インドシナ難民受け入れの歴史

 

 インドシナ難民とは、一般に、ベトナム、ラオス、カンボジアの3国からベトナム戦争の終結後、社会主義体制への移行と内戦から逃れてきた人々のことを指す。ベトナム戦争の結果、約140万人の難民が発生し、世界各地に定住した。日本では1979年から2005年にかけて合計11,319人を受け入れた。このうち、ベトナム人は8,656人であり、3か国の中で最も多い注。

 日本に到着した難民たちの受け入れに最初に取り組んだのがカリタスジャパンである。その後、国連難民高等弁務官事務所と宗教団体、日本赤十字社などが受け入れと支援に取り組んだ。

 一方で、日本政府の対応は大きく遅れ、1979年10月になってようやく日本で定住支援を行う決定がなされた。これより、兵庫県姫路市の姫路定住促進センター(1979~1996年)と神奈川県の大和定住促進センター(1980~1998年)が設置され、外務省の外郭団体のアジア福祉教育財団難民事業本部が中心となって、支援が始まったのである。

 また、インドシナ難民の発生は、難民条約の加盟国の増加にも影響し、日本も1981年に加盟国となった。

 受け入れ当時からベトナム人たちと関わってきたハリー神父によると、難民として定住するベトナム人は、現在では3世まで生まれているが、子どもたちの中には、自分のルーツについて曖昧な子も存在し、自分がベトナム人だということさえ認識していない子もいるという。また、若い世代のベトナム人の中には、ベトナム戦争や、親たちの世代が日本に難民として来る大きな要因となった社会主義体制についても知らない場合もある。加えて、難民2世になると、日本国籍を持ち、日本名を使うことも多い。

 

 ベトナム人の子どもたちの教育の現状

 

 ハリー神父が語るベトナム人のアイデンティティーの問題は子どもたちの教育の現場でも表れている。金川先生によると、小学校に日本名で入学してくる子どもが近年増えており、その中には本名を使わせたいという本心とは裏腹に、日本語の通名を使わせている保護者も多い。そのような保護者に対して、金川先生は必ずその理由を尋ねる。答えは、大きく分けて2つある。

 1つめは、自身がいじめられた経験から、自分の子どもがいじめられないようにするために通名をつけるというものであり、2つめは、将来的に日本国籍の取得を希望しているため、今から日本語の名前を使わせているというものである。

 このような保護者に対して、東小学校では名前を理由とするいじめはないことを伝え、本名の使用を促している。本名を使用してもいじめられない理由として、金川先生は、幼稚園や保育園から日本語以外の言葉や文化があるのが普通だった子どもたちには、違いを受け入れる素地が育っているからだと考える。いろいろな言葉やいろいろな名前があって当たり前だと考えられる子どもたちが育っているのだ。

 子どもたちに対しては、小学校6年間を通して「本当の名前」の大切さを教え、名前について考えることで、卒業式ではほとんどの子どもたちがベトナム語の本名で卒業する。この他にも、子どもたちのアイデンティティーの確立のため、日本語とベトナム語で、家族や今考えていることをテーマに作文を書いて発表したり、スピーチコンテストに参加したりする機会を設けている。作文を書くことを通して自分や家族のルーツを見つめなおし、日本での生き方を考える機会を設ける。このように、母語に触れる機会を作ることで母語の大切さを感じ、卒業式に本名で参加することにもつながる。また、ベトナムの獅子舞であるムーランを練習し、学校や地域で披露することも子どもたちの自信となる。

 さらに、東小学校全体としても相互理解を深める活動に取り組んでいる。学年ごとに日本人の子どもたちと共にお互いの国の文化を知る機会を設け、外国にルーツを持つ子どもと日本人の子ども双方に、共生の心を育んでいる。

 このような学校全体での活動は、外国にルーツをもつ子どもたちをより深く知りたい、子どもたちに笑顔で学校に来てほしい、という金川先生をはじめとする東小学校の先生たち全員の思いで支えられている。

 金川先生が、このような活動を通じて子どもたちに身につけて欲しいものは、「日本で生きていく力、自分で人生を切り開いていく力」である。そのために、小学生の時から進路支援ガイダンスなどのキャリア教育も行っている。しかしながら、ベトナム人の子どもたちの高校進学率は依然として低い。今後、ベトナム人の子どもたちの高校進学率を上げるには、学校現場でのキャリア教育だけでなく、家庭におけるさらなる教育、協力、支援が必要になる。子どもと保護者の両者に教育の重要性を伝えることが求められる。

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姫路市立東小学校にある多文化共生を学ぶ「ワールドルーム」に飾られているベトナム獅子舞ムーランに使う獅子の面


 今後の課題

 

 ハリー神父や金川先生へのインタビューから見えてくるのは、定住から35年以上経った今でも十分とは言えない外国にルーツを持つ子どもへの教育支援や、その不十分さが生み出す結果としての難民やその子どもたちの「成功例」の少なさである。将来的には、専門学校や大学を出て社会で活躍する子どもたちのロールモデルとなるような人が出てきてほしいと金川先生は期待している。

 現在のベトナム人コミュニティーは一つにまとまっておらず、金川先生のような外部のサポーターからの支援を受けてまとまっているのが実状である。ベトナム人コミュニティーの中で、相互に助け合えるような関係性ができてほしいと願っている。

 「ベトナム人の子どもたちのお母さんになって欲しい」と頼まれ、金川先生は外国にルーツのある子どもたちの支援を始めた。支援を始めてから約20年経った今でもあまりベトナム語は話せないが、それでも言葉以外でコミュニケーションをとることはできる、通じ合うこともできる、そして味方になれる、と力強く語った。

 2016年度から兵庫県の公立高校入試にも9人分(3校)の外国人特別枠が設けられる。しかし、大阪府などと比べると規模が小さい。加えて、この特別枠は来日3年以内の生徒にしか出願資格はなく、金川先生が支援している日本在住歴の長い子どもたちに出願資格はない。さらに、この特別枠は3年間の試験運用であり、今後継続されるかは未定である。姫路市に住んでいる子どもたちが、現実的に通える高校は1校だけであり、それでも学力的に容易であるとは決して言えない。金川先生とその生徒たちは、特別枠がうまく「利用できない」現実が「利用者がいない」と理解され、外国人特別枠がなくなってしまうのではという不安を拭い去れない。このように、外国にルーツを持つ子どもたちに対する支援は徐々に広がってはいるものの、決して現場のニーズに沿っているとは言えず、さらなる改革、改善が求められる。

 さらに、ベトナム人の子どもたちが自信を持てること、輝ける場所を見つけることも重要である。社会の中で自らの居場所を見つけ、活動することができるようになることで自尊感情が高まり、さらなる社会参加につながる。また、ベトナム人の子どもたちの輝いている姿や頑張っている姿が、地域や社会にとっては子どもたちを支援する原動力になる。ベトナム人の子どもたちと地域社会の双方にとってよりよい関係を築くための支援を考えていきたい。

 

 

 

注:「難民事業本部案内2014」(公財)アジア福祉教育財団難民事業本部(2014年)。