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国際人権ひろば No.90(2010年03月発行号)

特集:国際シンポジウム「アセアンの地域的人権機関の設立と東アジアにおける可能性を考える」

「アセアン政府間人権委員会」の役割と東北アジアにおける可能性

ヴィティット・ムンタボーン(Vitit Muntarbhorn)
タイ・チュラロンコン大学教授、ヒューライツ大阪国際諮問委員

アセアン政府間人権委員会の設立の背景

 私はアセアン10カ国の取り決めを起草する作業グループで活動していたという経験に基づいて話をする。作業グループを結成した95年以来、さまざまな課題に直面したが、ようやく各国政府の支持を取り付けて「アセアン政府間人権委員会」(AICHR)を設立するに至った経緯である。
 アセアンつまり東南アジア諸国連合は、ヨーロッパ審議会と異なり、人権保障機関ではなく、政治的・安全保障を目的とした機関である。そのため、アセアンを通じて人権の保護や伸長をしようとするのは矛盾ではないかとしばしば自問したものだ。しかし、10カ国をカバーするのはアセアンしかない。だから私たち市民社会・研究者はこれしかないと認識し、プッシュしようと考えたのである。
 アセアンは、権威主義から民主主義、絶対王政から社会主義まで、ときには軍事政権―民主主義―軍事政権と変遷している国々など政治的に大きく異なる10カ国、すなわちブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー(ビルマ)、フィリピン、シンガポール、タイおよびベトナムで構成されている。非常に多様な国の集まりである。
 1993年、アセアン諸国の外相たちは、ウィーンで開催された世界人権会議を受けて、アセアン人権メカニズム設立の可能性を共同声明に盛り込んだ。当時、それが真剣だったのかそれともただの宣伝にすぎなかったのか、といま考えてみるに宣伝の要素が強かったのではないかと思う。世界人権会議の際、地域的人権メカニズムがとりあげられただけでなく、国内人権機関の設立が強調されていた。これについては東南アジアのいくつかの国ですでに存在していたし、新たに設立される動きもあった。
 しかし、国内人権機関は地域人権機関に取って代わるものではなく、その逆のこともいえるシステムなのである。
 もし市民社会(NGO)がそのようなメカニズムの夢を課題として残しておかなければ、共同声明は忘れられていたに違いない。1995年、「アセアン人権メカニズムのための市民社会ワーキング・グループ」が、その目的のために非公式な組織としてつくられたのである。アセアン地域をカバーするメカニズムの設立を望む市民社会の取り組みに一部の政府関係者も合流した。「ワーキング・グループ」がさっそく提示したポジション・ペーパーは、メカニズムのための選択肢を次のように具体的にあげた。
・アセアン人権委員会
・アセアン女性と子どもの権利委員会
・アセアン人権裁判所
・アセアン諸国間の人権に関する一連のネットワーク活動

 90年代末になり、「ワーキング・グループ」はアセアン人権委員会設立のための合意案をアセアン諸国の外相たちに提出したが、政府側の反応をみる限り、アセアンはまだそのような飛躍を遂げる段階には達していなかった。地域人権メカニズムの推進は、毎年開催された市民社会グループとアセアンの高官とのさまざまな会合やセミナーを通した、アセアン諸国と市民社会との信頼関係の醸成から始まったのである。
 21世紀に入る頃、アセアンの3共同体であるアセアン安全保障共同体、アセアン社会文化共同体およびアセアン経済共同体の形成、そして地域の憲法のようなものとしての「アセアン憲章」が誕生した。その結果、人権メカニズムの設立はより現実化したのである。08年に「アセアン憲章」を全加盟国が批准したことによって、地域の人権を伸長し保護するアセアン人権組織の設立が決まった。憲章は組織のための取決めを起草するハイレベル・パネルの設置への道を開き、取決めは09年、タイのプーケットで開催されたアセアン首脳会議においてアセアン諸国の外相たちに提出され、承認された。これによって09年10月、チャアムでの組織の正式設立への道が開かれたのである。
 「アセアン政府間人権委員会」は、政府間の協議組織としてアセアン各国政府首脳の祝福を受けて設立された。アセアン加盟各国を代表する各1名の合計10人で構成される委員会である。その構成や選任方法の性質に関する異なった意見が続出した。その形成に際して、一部の国や市民社会との間に見解の相違があったものの、「アセアン政府間人権委員会」は大きな期待のなかで活動を始めたのだ。しかし、アセアン自体は人権組織ではなく、経済的志向を有した典型的な政治・安全保障の組織であり続けることから、委員会への期待は控えめである方がよいかもしれない。2010年の活動は、予定されている3回の会合で始まるが、その前にベトナムが正式にアセアンの議長国を引き継ぐ直前の09年末に非公式会合がタイで開催された。
 90年代中頃、市民社会があげた4つの選択肢を振り返ると、そのうち3つが東南アジアで実現されつつあるのだ。(地域)人権委員会、女性と子どもの権利委員会、タイ、インドネシア、フィリピンおよびマレーシアの4カ国の国家人権委員会のネットワークなど人権活動のネットワークである。しかし、地域人権裁判所の設立を考えることについては、このメカニズムをゆっくりと進化させていくという流れであることから、いまは時期尚早であろう。そうした状況を踏まえて、「アセアン政府間人権委員会」について、検討すべき10のポイントをあげてみたい。

10項目の留意事項

 まず、「政府間」という概念は、アセアンにおける個人や他の行為体(アクター)よりも国家を優先することを意味してはならない。いかなる人権メカニズムも、国家よりも個人および共同体の保護を核心におかなければならない。国家は、全能な性質や広範な権力を通して個人や共同体の権利を制限するさまざまな方法や手段をすでにもっているからである。「アセアン政府間人権委員会」の代表も取決めによると「公平に」行動しなければならない。
 第二に、「アセアン政府間人権委員会」が「協議組織」とされていることは、アセアンとその加盟国に対して勧告を出すことができない寡黙な組織であるということを意味しない。「アセアン政府間人権委員会」は判決を出す司法機関ではないと理解されているが、助言し勧告を行う権限を有している。
 第三に、取決めが言及し、「アセアン政府間人権委員会」およびアセアンが適用すべき人権基準は地域内およびそれを越えて基本的な最小限の基準となる普遍的人権基準である。取決めは、「アセアン政府間人権委員会」が「世界人権宣言、ウィーン人権宣言および行動計画、ならびにアセアン加盟国が締約国となっている国際人権文書に規定される国際人権基準を支持する」と述べる。アセアンの全加盟国が締約国となっている2つの人権条約は子どもの権利条約と女性差別撤廃条約である。
 第四に、アセアン憲章と取決めは国家の主権とアセアン諸国の国内事項への不干渉の原則に強く言及する。しかし、これらの原則は絶対ではなく、国際法の範囲内にあり、主観的ではなく、客観的に判断されるべきものである。
 さらに、人権を主張することはある国の国内事項への干渉とみなされない。そのような主張は国際法とその管轄の不可欠な一部であるからである。人権を国際的に保障することは一国で人権の保護を行うことができない、あるいは国にその意志がないときに作用する。
 第五に、取決めにも書かれているような、アセアンのコンセンサスに基づく非対立的で段階的に進化するアプローチという考えを強調することによって、ジェノサイド(大量虐殺)や人道に対する罪のような甚大な人権侵害の容認につながってはならない。
 第六に、取決めは実質的に人権の保護よりも伸長について書かれているが、より積極的に人権の保護をめざす創造的な方法への扉を閉ざしてはならない。伸長の側面は特に教育・啓発や能力開発と関連している。国際的にみて、保護の側面は個人が、国内における救済手段を尽くした後、地域の人権組織に苦情を申し立てる能力とそのような組織が事件や状況を監視し、調査する権限をカバーする。取決めを起草したパネルの過半数の見解では、これらの保護の要素を明示的に言及することは避けたが、パネルのメンバーは「取決めが禁止していないことはしてはいけないことではない」という理解に同調的であったことにも留意しておきたい。
 第七に、「アセアン政府間人権委員会」が後退をしないよう注意し、国際的に信用される前向きな行動を確保しなければならない。取決めがあげる将来の取り組みの一つに「アセアン人権宣言」の起草がある。そのような文書およびそれに関連する文書は国際基準を向上させ、後退させないような手助けになろう。普遍的基準と矛盾するような地域的特性は認められない。
 第八に、「アセアン政府間人権委員会」は市民社会、国内および他の機関と人権に関して対話し、アセアン諸国から人権に関する情報を得て、人権に関するテーマによる調査を行い、年次および他の報告を作成する権限を有する。これによって、人権問題に関して広範な議論を行う余地ができ、それは市民社会や他の行為体が関与することに一層開かれていなければならない。これは「アセアン政府間人権委員会」の5カ年活動計画作成にあたって大切な開始点である。
 第九に、「アセアン政府間人権委員会」はアセアン諸国の外相に報告し、アセアン事務局長および事務局の支援を受ける。したがって主要な人権状況が「アセアン政府間人権委員会」に伝えられるだけでなく、外相や事務局長、特に政府首脳会議に伝えられることを確保することが重要である。まもなく「アセアン女性と子どもの権利委員会」が、独自の取決めによって設立されるところであり、「アセアン移住労働者の権利委員会」が既に存在しているが、それらすべてが「アセアン政府間人権委員会」と連携しなければならない。「アセアン政府間人権委員会」はそれだけで完結しているようにみられてはならず、人権侵害を防止し、人権の伸長と保護に対応するチェック・アンド・バランスとして機能するべきで、アセアンの枠組みのなかの多数の要素のひとつとしてみなされなければならない。各国の国家人権委員会もこれを補完するものとしてみなされるべきである。
 第十に、取決めの下での「アセアン政府間人権委員会」の権限は、アセアン全体の構造のなかに人権、民主主義と法による支配を実質的に統合する「アセアン憲章」と合わせて読まれなければならない。言い換えると、人権は政府・非政府組織を含むアセアンのすべての行為体に適用される原則として正当化されたのである。

東北アジアへの示唆

 東北アジアもアセアンと同じ道を行くことを考えるべきだろうか?この地域の政治的様相もまた複雑で 「特殊」 であることを忘れてはならない。モンゴル、日本および韓国という民主主義国がある。世界最後の全体主義国、北朝鮮がある。市場経済システムには開放されているが、民主主義に関してはより抑制的な、巨大な経済力を有する中国がある。東北アジアの一部としてロシアはどうなるのか。しかしこれら諸国はすべて子どもの権利条約と女性差別撤廃条約の締約国である。どの国にも、その質は異なるかもしれないが、裁判所がある。モンゴルと韓国には国家人権委員会がある。
 アセアンとその人権委員会の性質をみると、東北アジアにとってのモデルとすることは賢明ではないだろう。しかし、90年代中頃に私たち市民社会がアセアンに提示した選択肢は今日も有効で、東北アジアの地域でも取りあげることができるのではないかという考えが浮かんでくる。
・東北アジア人権委員会
・東北アジア女性と子どもの権利委員会
・東北アジア人権裁判所
・東北アジア地域における人権に関する一連のネットワーク活動

 現時点では、4つ目の選択肢がおそらく一番実現可能であろう。たとえば、裁判所間、法執行官の間、市民社会グループ間、人権教育プログラムのネットワークなどが考えられる。地域内に既に存在している国家人権委員会間のネットワークもあり得る。また、国家人権委員会を有していない国にも設置するよう促すこともできる。
 3つ目の選択肢である東北アジア人権裁判所のアイディアは国民国家の上に拘束力のある司法機関を設立するのはあまりに野心的すぎて、現段階での実現はおそらく無理だろう。国家主権の議論を好む諸国にとっては、実現があまり考えられないシナリオであるからだ。2つ目の選択肢の「女性と子どもの委員会」の方が、1つ目の「東北アジア人権委員会」による広範な分野をカバーする地域委員会よりも出発点としては容易であろう。
 地域的保障のメカニズムの考え方がどう変わろうと、あるべき特徴は明確である。人権の伸長と保護の最も重要な環境は、国内と地方のレベルにあることから、まずは国家人権委員会を設立することである。いかなる地域的機関も普遍的な人権に対応する実効性のある国内システムの代替機関としてみられるべきではないのだ。

(構成:岡田仁子、藤本伸樹・ヒューライツ大阪)