性は「わたしがわたしをどう生きるか」に深くかかわるものであること、そして「性の健康」は基本的人権であり、性教育はそれを保障するための大事な教育活動であり、権利であるという考えを前提にセミナーは進められました。以下、報告の概要をまとめます。
<樋上典子(ひがみ のりこ)さんの報告>
35年にわたり性教育にとりくんできたが、退職までの10年は、艮さんをはじめとする研究者と共同で授業を進めてきた。性教育に情熱を注ぐことになったきっかけは、かつての勤務校の生徒が深刻な性被害に遭い、その加害者が中学生であったという衝撃からであった。長く勤務した中学校の校区は、経済的に厳しい状況にある家庭が多く、その結果、家庭環境も難しいケースもあり、子どもたちは自分を肯定できずに荒れていた。だからこそ豊かな生き方を拓くために性教育が必要だという確信を持ったが、その当時、性教育の重要性を理解し、子どもに寄り添うことを大事にしていた校長の存在も大きかった。
校内で性教育は人権教育として位置付けられ、双方向型の授業を心がけた。公開授業にして、様々な立場の人たちを招き、生徒からも常に意見を聴きながら授業を改善した。残念ながら、招いた中のある自治体議員には性教育の理念や成果について話が通じず、議会で実践を批判し攻撃するという事態も起こったが、公開授業に参加した多くの人たちが肯定的な評価をした。なによりも性教育の授業後に子どもたちがいい方向に変化していくことが実感できたのが嬉しかった。性教育実施後に正しい知識が増え、性行動にも慎重な意見が増えることが生徒へのアンケート結果でもわかる。10代の意図しない妊娠を防ぐためにも義務教育である中学3年生の時が最後のとりでなのである。
<艮香織(うしとら かおり)さんの報告>
日本の性教育は、これまで政治的な影響を受けながらも、様々な運動と連動しつつ進展してきたという歴史がある。これまで何度かのバッシングもあった。今回の実践も議員によるバッシング発言があったものの、性教育を重要とする世論やメディアとのずれが明らかになることとなり、理解は広がりつつあるようにも思う。しかし、学習指導要領の性教育に対する「歯止め」規定(例えば、中学校では受精に至る過程を扱わないと記されていることから、「性交」は教えられないなど)や、実施前に保護者の同意が必要(東京都)などの状況を見ると、教育現場で進めづらい状況は続いている。「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」の基準に届かない、さまざまな制限のある中で奮闘している現場の実践者がいる。
ユネスコが中心になって、ユニセフ、WHOなど国連機関で公表された「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」の概要を説明する。2009年に初版が出されたが、2018年の改訂版にはUN womenが参加したことで、ジェンダー平等についてより言及した内容になった。ガイダンスは、実践者だけでなく、民間団体や政策立案者にとっても使えるツールである。実践を支えるものとして教育理念の部分を確かなものにできる。ガイダンスの理念を伝える章では、性教育の成果を含む科学的根拠となるレビューや若者と子どもたちの性の現状(データ)などを紹介している。ガイダンスは、「包括的性教育」を提唱していて、その意義とともに幅広い内容を具体的に詳しく説明している。これは単発で終わるものではなく、カリキュラムに立脚すべき教育であり、そのキーコンセプトは思いやりや優しさではなく、権利学習として貫かれている。
日本では、今、性教育への関心が高まりつつあると感じている。そして商業主義的な動きもある。また、性のことは政治の関心毎であるために、これからも性教育のバッシングは生じうる。こうした中にあって、固定的なライフスタイルを暗に推奨したり、予防教育としての意味合いが強くならないように意識したいところである。誰のための性教育かという検証が大事である。つまり子どもの現状を的確に反映させているかや、教育や啓発では権利としての性教育が保障できるような内容になっているか(いずれも経済発展や社会の問題解決の文脈で語られていないか)を検証する必要がある。
お二人の報告を通じて、ガイダンスは、性教育に取り組もうとする教員だけではなく、それをサポートしようとする様々な個人や団体の力にもなることがわかりました。人権教育として、子どもも大人も性教育を学ぶことを保障されるべきであり、そのための学び続ける場所(情報、実践の交流など)が必要であることが再度確認されました。実践は一人で完結するものではなく、協働の中で継続と広がりが可能になります。参加者は54名でした。
※日本語訳はユネスコのウェブサイトからダウンロードできます(無料) →こちらから
※『国際セクシュアリティ教育ガイダンス:科学的根拠に基づいたアプローチ:改訂版』ユネスコ編、浅井春夫/艮香織/田代美代子/福田和子/渡辺大輔訳(明石書店、2020年)
※まなび続ける場所の一つとして:"人間と性"教育研究協議会 https://www.seikyokyo.org/
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【アンケートから】
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在日コリアン3世の具さんは、マイノリティの権利をまもりたいという思いで弁護士をめざしました。その契機となった出来事、日本におけるヘイトスピーチとヘイトクライムに関する理解の現状、アメリカとヨーロッパでの人権保障システムや複合差別の実情について、語っていただきました。参加者からのアンケートでは「法文化比較だけではなく、自身の学びと歩みが織り込まれ、強い感銘を受けた」「多くの点で共感できた。日本社会が抱えている問題が国際社会との比較からも明確になった」「ヘイトスピーチ、ヘイトクライムに関して俯瞰できた」などの感想がよせられました。参加者は66名でした。
以下、具さんの報告の要約です。
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京都府宇治市のウトロ出身だが、子どもの時に、ウトロ住民が立ち退きを迫られるという事件がおきた。ウトロは、戦時中に日本軍の飛行場建設が計画されたところで、住民の大半が在日コリアン。立ち退き問題は最高裁で住民側が敗訴する結果になったが、日本の人権課題を国際社会で訴える機会にもなった。小・中・髙は朝鮮学校に通い、マイノリティの権利に関心を持ったことで弁護士になった。
2009年に弁護士登録をした直後に、母校である京都第一朝鮮初級学校が人種差別主義グループに襲撃される事件が起きた。その弁護団や朝鮮学校高校無償化訴訟や琉球遺骨返還請求訴訟の弁護などに参加してきた。
<ヘイト「スピーチ」という言葉の「一人歩き」>
日本では、ヘイトスピーチという言葉が誤解されている。朝鮮学校への襲撃事件は、ヘイトスピーチと言われるが、暴力、器物損壊、名誉棄損などは、すべて刑法犯罪。同様の事件である2010年の徳島県教組襲撃事件、2011年の水平社博物館差別街宣、2012年のロート製薬強要事件なども刑法違反で有罪になった。2回目の朝鮮学校襲撃事件では、侮辱罪より罪が重い名誉棄損罪が認定されたが、被告人の「拉致問題を明らかにするための正当な言論活動」という主張を裁判所がそのまま鵜呑みにし、「公益」を図る目的を認定し、罰金50万円という軽い判決が最高裁で確定した(2020年)。アメリカでは、これらはヘイトクライム(犯罪)として裁かれる。マイノリティが被害者になった京都の襲撃事件では、捜査機関が告訴を受けつけず、警察や検察は被害者に対して非協力的だった。侮辱や器物損壊など罪名は軽いが、被害は非常に重い。こうした事件を担当し、被害と罪名の乖離をどう考えたらいいのか悩んだことがアメリカへの留学につながった。
「アメリカではヘイトスピーチは表現の自由で保護されるから規制できない」と言われるが、本当にそうなのか。幼い頃から経験した在日コリアンに対する暴言や暴行という問題に対して根本的な解決がなされないのは、自分たちが保護するに値しない人間だからなのか。このような疑問に向き合いたいという思いで、日弁連の留学制度を利用しニューヨーク大学で学んだ。
<アメリカにおけるヘイトクライムについて>
ヘイトクライム規制に至るアメリカの歴史を振り返ってみたい。奴隷制廃止以降も人種隔離政策は維持され、アフリカ系アメリカ人に対するリンチ殺人や暴力事件が起きていた。公民権運動によって公的差別は廃止されたが、社会的差別は根深く残り、1980年代には特に、アフリカ系アメリカ人や性的マイノリティに対する差別に基づく暴力が頻発した。ユダヤ系市民団体などの働きかけにより、ヘイトクライム調査を国に義務づける法律が成立(1990年)。これをきっかけに、多くの州で差別的動機に基づく犯罪の重罰規定がおかれた。民事訴訟を促進する規定もあり、こうした一連の法律をヘイトクライム法と呼んでいる。
アメリカは「表現の自由」を特に重視するが、ヘイトクライム規制と表現の自由をどう整理するかについては議論がある。現在の多数派の考えは、表現自体を規制することはできないが、差別に基づく犯罪は厳罰化できる(表現の自由の侵害にならない)というものだ。弁護士としてアメリカで良いと思うシステムを2点あげる。まずFBIがヘイトクライムの定義をおこない、多くの州では毎年ヘイトクライム事件の報告を出すことで、被害が可視化されている。日本では差別に基づく犯罪が知られておらず、実態も把握されていない。また、日本ではアメリカにおける過激なヘイトクライム事件だけが紹介されがちだが、ニューヨーク州の報告をみると、ヘイトクライムの約半分は物に対する犯罪、日本で言うところの器物損壊等である。残りの半分弱が人に対するもので、その内、暴行は3割強である。日本では、たとえば差別的落書きなどのヘイトクライムの場合、器物損壊という罪名にしか該当しないが、アメリカのような法律があると厳罰を科すことができ実効性があると感じている。ただし、ヘイトクライム規制をもつアメリカも、実効的な運用ができていないという問題がある。
もう1点は、ヘイトクライムの被害に遭ったとき、例えば、ニューヨーク州では、市民が容易に告訴できるシステムがある。また、捜査官、検察官、裁判官はヘイトクライムに関するトレーニングを受けている。さらに、アメリカでは差別的動機をどのように認定するかについても研究が進んでいる。アメリカでも「正当な目的」を口実にヘイトデモをする人たちがいる。それについて、私が話を聞いた裁判官は、発言や行為のみならず、所属団体やSNSなどでの発言やチャットの内容など文脈的要素を考慮して、差別の動機を証明すべきだと語った。
ヘイトクライム事件に対するアメリカの市民社会や政府高官の反応について触れておきたい。2017年、バージニア州シャーロッツビルで、白人至上主義団体と、この団体に反対するグループが衝突し、女性が亡くなった。この事件に対し、州知事や市長は強い言葉で白人至上主義者を非難した。日本では、ヘイトクライム事件が起きても、政府高官や知事、市長、市民社会全体からの強い非難のメッセージを私は聞いたことがない。
アメリカでは、社会学者などが、なぜヘイトがいけないのかを「ヘイトのピラミッド」を使って研究しているが、ピラミッドの一番下が「偏見」、次に「偏見に基づく個別行為」、「差別」、「暴力」、一番上が「ジェノサイド(大虐殺)」である。アメリカは「ジェノサイド」「暴力」はヘイトクライムとして法律で規制している。「差別」については公民権法や各州の人権法が対応する。また、教育活動が活発であることにも驚いた。教育には日系アメリカ人が戦時中に強制収容された歴史も含まれる。
<ヨーロッパで普遍的人権概念と出会う>
米国留学を終え、ヨーロッパのヘイトスピーチとヘイトクライムの関係や、世界でヘイトが起こっている根本的な背景が気になり、次は英国のエセックス大学で国際人権法を学ぶことになった。ここで普遍的人権概念―つまり人権は地域、社会、時代、宗教的・社会的背景を越えて、人として守られるべき尊厳であるという考え方に出会った。そしてヘイト問題は、普遍的な人権の課題であると納得できた。国連には普遍的人権を保障するメカニズムとして、人権条約機関、人権理事会とUPR審査などがある。個人通報制度は、個人が直接、国連に人権侵害を訴えることを可能にする制度であるが、今のところ日本は受け入れていない。日本では、裁判所に訴えた人権侵害が最高裁までで救済されなければそれ以上はできない。OECD加盟国35か国の中で、個人通報制度を受け入れていないのは、日本とイスラエルだけである。
欧州、米州、アフリカには地域的な人権保障メカニズムがある。日本では民事・刑事法廷しか知らなかったが、国家人権委員会のような人権救済機関や憲法裁判所などの存在も知った。韓国には今その両方がある。私が特に感動したのは、欧州人権条約(1953年発効)と人権裁判所である。現在、欧州人権条約の加盟国は47か国だが、条約がミニマム・スタンダードになっている。欧州人権裁判所は、47か国から一人ずつ選ばれる裁判官によって構成される。加盟国は、欧州人権裁判所の判例をまもらなければいけない。欧州人権裁判所がヘイトと表現の自由との関連をどう判断しているかを調べたところ、2つのアプローチを取っていた。まず、「特定の表現については表現の自由はない」という理由で保護しない。もう1つは、「表現の自由には値するが制限を課す」というものである。表現の自由ではないとされる例として、ホロコーストを否定するなどの否定主義や歴史修正主義があげられる。実際、そうした主張をした学者などが自分の住む国で有罪とされ、それを「表現の自由の侵害」であるとして人権裁判所に申立をした。人権裁判所は、それを「権利の濫用」であると判断し、こうした判例が重ねられている。日本の関東大震災の朝鮮人虐殺を否定する書き込みも自由であることから比べると歴然とした違いがある。
また、人権条約を生み出した欧州評議会は、ヘイトに関する様々な勧告や意見を出している。例えば、「人種主義および不寛容に対するヨーロッパ委員会による人種主義および人種差別克服に向けた国内法のありかたに関する一般的政策意見7」(2007年)では、人種主義的表現の克服のためには刑法規定を適切に適用することを求めるなど、私が日本で苦しんだことに対する応答になった。ECRI(人種主義および不寛容に対するヨーロッパ委員会)による「ヘイトスピーチ克服のための一般的政策勧告15」(2015年)には、ヘイトスピーチの標的になった人々への支援について具体的に述べられている部分があるが、それを読んだ私は泣きたいような気持ちに襲われた。なぜなら日本では、まさにヘイトスピーチの被害者は「恐怖、無知、身体的・感情的妨害や手段の不存在」(不眠や体調不良、精神不安定などにより身体的にも、精神的にも傷つくという被害を受けることにより、アクションを起こすことが困難な状況に置かれたり、とりうるアクションの選択肢が限られてしまう、たとえば日本で人権救済に有効な法制度がないなど)の状況に置かれてきたからだ。
京都の朝鮮学校でのヘイトクライムの動画が知人から送られてきた時には、最後まで見ることができず、すぐに動画を止めた。後で見たら体が震えて涙がボロボロ出てきた。努めて冷静に、信頼できると思った人たちに動画を拡散したが、芳しくない反応が返ってきたりもした。そんな経験が重なると「どうせ救済されない」という感覚になってしまう。だからECRIの勧告の内容に勇気づけられたのだ。
また、犯罪の訴追が非差別的に行われるべきことやヘイトスピーチの標的となった人々が関連の手続きに効果的に参加すること、法執行機関や検察官、裁判官に対するトレーニングなど、日本では顧みられなかった内容が勧告には書かれている。また、ネット上のヘイトに対処する条約として、欧州サイバー条約追加議定書が2003年に採択された。日本は署名はしたが、まだ批准していない。「国籍的マイノリティ保護のための欧州枠組条約」(1995年)や改正欧州社会権憲章(1996年)なども、差別禁止を明言している人権文書である。
<複合差別(intersectionality)につながる>
そして「国際法とフェミニズム」というテーマに出会った。国際法は白人の男性が中心になって形成されたことへの批判である。例えば、拷問等禁止条約は、公務員による残虐な刑罰や拷問が禁止されているが、同じ行為を家庭内暴力(DV)は長年不問に付してきた。さらに、「科学」という名のもとで、白人と黒人は違う「人種」で、男性に比べ女性は子どもに近い人間というような優生思想が語られてきた。そうした思想が東アジアの侵略につながったという歴史があるのではないか。そこからレイシズムとジェンダーが交差する「複合差別」の理解につながっていった。複合差別は、クレンショーというアメリカの法学者が1980年代後半に論文で発表した概念であるが、黒人女性が、フェミニスト運動からも反レイシズム運動からも排除されてきたという状況があり、それは人種とジェンダーが交差する差別だと考える。それまで、女性差別として語られてきたことは、白人の中流階級の女性差別であり、人種差別は黒人男性の差別だった。黒人女性はいずれからも取り残されてきた。ジェネラル・モータース事件は、複合差別がきちんと理解されていない事例。黒人女性が差別を受けたとして会社を提訴したが、証拠として、公民権法成立以前に、黒人女性が採用されたことは一度もなく、成立後の不況時に真っ先に解雇されたのは黒人女性であったと主張した。裁判所は、女性(白人)は採用されているし、黒人(男性)は解雇されていないとし、黒人女性を差別していないという判断をくだした。要は、人種差別と女性差別は根拠になるが、この二つの組み合わせは根拠にならないということだ。また、東ヨーロッパのロマ人の女性は、ロマとしての排斥の対象と同時に、自らが所属する共同体内部では女性として周縁化される。日本の部落女性、アイヌ女性、インドのダリット女性なども、同様の立場に置かれている。このようにジェンダーと人種等の他のアイデンティティが交差すると差別が見えにくくなる。私は慰安婦問題がまさにこの問題であると考えている。植民地主義、レイシズム、さらに女性差別の中で起こったが、政治的な背景の中で、複合差別としてきちんと理解されていない。チマ・チョゴリ切り裂き事件や京都の襲撃事件、在日コリアンライター女性へのひどい書き込みも複合差別の例と言える。ヘイト事件を扱う弁護士の中でもいやがらせを受けるのは女性弁護士である。マイノリティの共同体の中でも共有する差別体験に温度差が出てくるという問題が生じる。
最後に紹介したいのは、ECRI(人種主義および不寛容に対するヨーロッパ委員会)「ヘイトスピーチ克服のための一般的政策勧告15」 (2015年12月8日採択)勧告5(被害者支援)についての説明である。私はこれを読んだ時、自分が経験してきた痛みが言語化されており、涙が止まらなかった。
ヘイトスピーチは「その標的となった人々に恐怖や不安を与えるだけではなく、いかなる正当な理由もなく、罪の意識や恥の意識そして屈辱感にさいなまれ、自身や自尊感情を失ってしまう結果をもたらす。・・・その結果、そのような感覚は、たとえば職場であれ学校であれ家であれ、標的とされた人の人生におけるあらゆる場面に結果をもたらすのであるが、とりわけ、家族関係および社会への参画意欲におよぼすインパクトは特に深刻である。」
私の夢は、早く日本と朝鮮半島の歴史問題を解決し、アジア地域における人権保障のシステムが生まれ、欧州人権裁判所があるようにアジア人権裁判所が設立されることである。(ヒューライツ大阪事務局)
タイトル |
著者 |
出版者 |
出版年 |
ページ数 |
キーワードなど |
SDGs学習のつくりかた : 開発教育実践ハンドブック(開発教育実践ハンドブック 2) |
開発教育協会(DEAR) / 編 |
開発教育協会(DEAR) |
2021 |
96p |
持続可能な開発、参加型学習 |
Kansai-SDGsのあるき方2 : 市民のこれまでとこれから |
関西NGO協議会 / 編 |
関西NGO協議会 |
2021 |
56p |
持続可能な開発、NGO |
まんがクラスメイトは外国人 : 課題編 : 私たちが向き合う多文化共生の現実 |
「外国につながる子どもたちの物語」編集委員会 / 編 ; みなみななみ / まんが |
明石書店 |
2020 |
210p |
外国人の人権、子どもの人権、対象:10代~ |
外国にルーツを持つ人々とともに : からふるな仲間たち |
外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡会議(外キ協) [ほか] / 編 ; みなみななみ / まんが |
マイノリティ宣教センー(CMIM) |
2021 |
19p |
外国人の人権、対象:10代~ |
「亡国の越境者」の100年 : ネットワークが紡ぐユーラシア近現代史(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻22 ) |
小野亮介 [ほか] / 著 |
風響社 |
2020 |
99 p |
移民、難民、日本の歴史 |
京都市の在日外国人児童生徒教育と多文化共生 : 在日コリアンの子どもたちをめぐる教育実践 |
磯田三津子 / 著 |
明石書店 |
2021 |
174p |
多文化教育、在日コリアン |
刑事司法とジェンダー : 増補 |
牧野雅子 / 著 |
インパクト出版会 |
2020 |
255p |
性暴力、ジェンダー、加害者 |
炎上CMでよみとくジェンダー論 |
瀬地山角 / 著 |
光文社 |
2021 |
263p |
ジェンダー、報道 |
災害女性学をつくる |
浅野富美枝, 天童睦子 / 編著 |
生活思想社 |
2021 |
7, 182p |
災害、女性、日本 |
二世に聴く在日コリアンの生活文化 : 「継承」の語り |
橋本みゆき / 編著 ; 猿橋順子 [ほか] / 著 |
社会評論社 |
2021 |
301p |
在日コリアン、生活 |
朝鮮籍とは何か : トランスナショナルの視点から |
李里花 / 編著 |
明石書店 |
2021 |
246p |
在日コリアン、歴史 |
ともに : NPO法人エルファ設立20周年記念誌 |
|
京都コリアン生活センターエルファ |
2021 |
95p |
社会福祉、在日コリアン、京都 |
世界を動かす変革の力 : ブラック・ライブズ・マター共同代表からのメッセージ |
アリシア・ガーザ / 著 ; 人権学習コレクティブ / 監訳 |
明石書店 |
2021 |
356p |
人種差別、アメリカ、人権運動、 |
ヘイトをとめるレッスン(いきする本だな) |
ホン・ソンス / 著 ; たなともこ, 相沙希子 / 訳 |
ころから |
2022 |
237p |
ヘイトスピーチ、韓国、日本、人権教育 |
インターネットとヘイトスピーチ : 法と言語の視点から |
中川慎二 [ほか] / 編著 |
明石書店 |
2021 |
242p |
インターネット、ヘイトスピーチ、日本、ヨーロッパ |
多様性との対話 : ダイバーシティ推進が見えなくするもの(青弓社ライブラリー 100) |
岩渕功一 / 編著 |
青弓社 |
2021 |
235p |
多文化共生、マイノリティ、日本 |
【絵本】子どもの権利と新型コロナ |
長瀬正子 / 著 |
ちいさなとびら |
2021 |
1冊 |
国際人権基準、感染症 |
【絵本】グーチョキパーのうた |
趙博 / 文 ; 長谷川義史 / 絵 |
解放出版社 |
2021 |
1冊 |
多文化共生、人権教育 |
アドボカシーってなに? : 施設訪問アドボカシーのはじめかた |
栄留里美 [ほか] / 著 |
解放出版社 |
2021 |
139p |
社会福祉、子どもの権利、人権擁護 |
私たちはふつうに老いることができない : 高齢化する障害者家族 |
児玉真美 / 著 |
大月書店 |
2020 |
202p |
障害者の人権、社会福祉、家族 |
人権の時代へ : 国際法を物語る(Gleam Books) |
阿部浩己 / 著 |
朝陽会 |
2021 |
3, 120p |
国際人権基準、人権擁護 |
☆ななつ星ツアー2019☆ : 子ども達を福島事故の被ばくから守る母親ツアー |
|
[東日本大震災避難者の会Thanks & Dream] |
[2019] |
1冊 |
原子力、災害、子どもの人権 |
第28回理事会 6月9日に承認
1号議案 2020年度事業報告及び決算の承認
公益目的支出計画実施報告の承認
監事監査結果報告
2号議案 評議員会の開催(決議の省略による)
議案はすべて承認されました。
第19回(定時)評議員会 6月28日に承認
1号議案 2020年度事業報告及び決算の決議
2020年度公益目的支出計画実施報告書の決議
監事監査結果報告
2号議案 理事の辞任と選任
評議員の辞任と選任
議案はすべて承認されました。
決算報告書はこちらのリンクからご覧ください。2020年度決算報告書
事業報告書はこちらのリンクからご覧ください。2020年度事業報告書
]]>講師の李杏理(リ・ヘンリ)さんは在日コリアンの濁酒闘争をメインに研究を積み重ね、「在日朝鮮人の濁酒と生活経済 : 1939-1949」という論文で今年3月、博士号を取得しました。今回は、濁酒とは何かからはじまって、戦後(植民地解放後)の在日コリアンの濁酒文化と生活を守るコミュニティの闘争について、研究の一端を図表や写真を紹介しながら市民にわかりやすく語られました。
報告の要旨は次の通りです。
濁酒とは、広義には穀物を使った醸造酒のことであり、古くから朝鮮半島でも日本でも作られてきた。朝鮮半島では近代以前から濁酒作りはもっぱら女性の役割とされ、家内仕事として受け継がれてきた。これが日本の植民地下に税収確保のため高額の酒税がかけられ、自家用酒造が禁じられ、多くの伝統酒が消えていく。一方、日本に渡ったコリアンはその濁酒文化を継承したが、日本では主に米麹を使った濁酒が作られた。
戦後、在日コリアンの大半が失業にあえぎ貧窮する中で、自分たちの生活文化である濁酒を「密造」し販売することを生きるために頼みの綱とした。日本の官憲は1947年の「川崎事件」を契機として、在日コリアンのコミュニティに対し、人種偏見にもとづいた集中的な取り締まりを実施し、また、在日朝鮮人と犯罪を結びつける発言がなされた。これは政府の関連資料や元官僚の回想録などからも明白に見てとれる。
そんな中で生活を守るため、在日コリアンによって濁酒闘争が行われた。その内容はまず、免許を持たずに(持てずに)濁酒の製造または販売を行ったこと(酒税法違反)。2つ目に捜査されたとき、濁酒を隠したり、逃れたりするなど捜査の妨害をしたこと。3つ目に、差押えをされた飯米や検束された同胞を取り返す活動や令状の無い違法捜査への抗議活動である。当時の酒税法違反をデータで見ると、朝鮮人女性の方が日本人女性より人口に比して高比率で起訴されたことがわかる。件数比率としては朝鮮人男性の方が朝鮮人女性よりも多い。その闘争では女性や子どもも一丸となって闘ったことが当事者の聞き取りや報道写真からわかる。
この研究に至った理由として1つ目に、朝鮮半島における食文化が、植民地下においてどのように否定されたかを見ること。2つ目に、近年でもマイノリティや外国人と犯罪を結びつける報道が繰り返されていることがあげられる。ただし、外国人が検挙される件数の大部分は凶悪な犯罪ではなく、入管法違反をはじめとする行政的な違反である。またそうした人たちが時に酒税法や「と畜場法」などの違反をした背景には貧困がある。アウトローな状況におかれた人たち個人の問題にするのではなく、なぜそうさせるのかという背景と過程を分析することが、この社会にある抑圧や排除を可視化し、「自己責任」に対抗する言説になると考えたからである。