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国際人権ひろば No.73(2007年05月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

ヨルダン人と共に働くこと~自分が学び、そして伝える

藤田 恵里 (ふじた えり) 青年海外協力隊員

■ヨルダンのNGOに赴任


  私は、青年海外協力隊理学療法士として2006年6月末に中東のヨルダン・ハシミテ王国に赴任した。ヨルダンは、イスラエル、イラク、シリア、サウジアラビアと国境を接する人口530万人の小さな国である。
  現在そのヨルダンで、首都アンマンから南へ210kmのマアーン市にある現地NGOに所属し、日々活動をしている。その活動では、砂漠の中に点在する町や村を回り、主に医学的リハビリテーションの立場から障害者の生活改善に取り組んでいる。ヨルダンでは、部族制度が現在も残っているため近親婚が多く、障害児の出生率が高いと言われている。そこで、リハビリテーションや特別支援教育の専門家の数が少ない配属先の管轄エリアでは、早期療育の高い効果を狙って、主に就学前の脳性麻痺や二分脊椎、ダウン症などがもたらす身体障害や知的障害をもつ子どもを対象として、サービスを提供している。
  配属先の同僚は、作業療法士、理学療法士と特別支援教育教員のヨルダン人3人と、同じ協力隊作業療法士の日本人1人である。
  ここでは、日本から遠く離れたアラブの土地で、現地の人と同じ目的に向かって仕事をする中で感じたことや、いくつかの出来事について記述したいと思う。
 

■過去の資料の「運命」


  ヨルダン人の同僚は、私の赴任直前に大学を卒業して就職したばかりである。そこで赴任後間もなく、まずは彼女たちと、それまであまり活発に仕事を進めていなかったリハビリテーション部を少しずつ改善していく仕事に取り組んだ。
  ある日、「今日はファイルの整理をします」と言う同僚。職場の事務スペースには、子どもの個人情報と医師記録のコピーや、それまで訓練を行ってきた日にちなどが書かれた書類があまり整理されていない状態で保存されていたのだが、それを新しく整理しようという提案だった。私が全く意味の分からない手書きのアラビア語の書類と向き合いながら、「さぁどうするか...」と思っていると、同僚たちは、利用者の個人情報が記載された一部の書類と医師記録を残して、いきなりバサリバサリと書類全てを処分しだした。そして数十分後には、中に数枚の書類が残された新しい大きなファイルと、大量の紙ゴミの袋が出来上がってしまった。
  その時、私は正直驚いたし、こんなに簡単に捨てていいものかと疑問にも思った。しかし、今振り返ってみると、そこには同僚たちの価値観が現れていたのではないかと感じている。
  ここの人たちは、形式や様式を重んじ、外観をとても大切にする。これは、私自身がもっている「中身が重要」とする価値観とは反するが、例えば彼女たちが資料を作成すると、きっちりと見やすいものが出来上がってくるし、きれいに飾られた部屋や家などにはいつも感心させられる。そして、新しい大きなファイルも例に漏れず、見やすくてとてもきれいなものだった。
  また、過去の資料の内容がどれほど重要であったかは、語学力の問題でよくわからなかったものの、それらをどれもこれも捨ててしまったことは、「経験から学ぶ積み重ねが大切」とする考え方をしてきた当時の私には共感しにくかった。しかし今は、もしかするとコツコツと積み重ねていくことは、先祖が農耕民族である私たち日本人の特徴で、日本で今まで経験してきた仕事の方法がかえって特異なのかもしれないとも考えている。
  また、他の場面で同僚と話していたときに、仕事を進める上でのフィードバックの必要性、つまり過去の経験から学び今後に活かしていくことの必要性を伝えようと努力したが、英語アラビア語辞典にも適切な単語が見つからず、どうしてもこちらの意図するニュアンスが伝わらなかったのには驚いた。しかし、もともとは砂漠の遊牧民族であり、厳しい自然にさらされながら生活してきた彼らは、「一期一会」の考え方を重んじていると聞いたことがある。きっと、私が驚いたファイルの整理には、外観を大切にし、その時々の方法を重要視するという価値観が表れていたのだろうと考えた。

 

同僚と配属先の利用者およびその母親、後列左端が著者
同僚と配属先の利用者およびその母親、後列左端が著者

■2時チン


  「2時チン」という言葉は一般的なものではないかもしれないが、協力隊に参加する前の日本の職場で、終業時刻の例えば5時に仕事を終えてさっと帰宅することを、私たちは「5時チン」と呼んでいた。
  この言葉を借りると、私の同僚はほとんどが「2時チン」である。つまり、終業時刻の2時になるとさっと皆が送迎バスに乗車し、運転手がそれぞれの自宅まで送り届けてくれる。その後はというと、家族との時間がしっかりと取られる。日本のような残業も、自宅に仕事を持ち帰っての風呂敷残業もない。
  首都アンマンなどの都市部では近年変化しつつあるものの、ヨルダン人の家族はまだまだ大きく、10人以上子どもがいることも珍しくない。さらに、イスラム教徒がほとんどを占めるため、一部の男性が複数人数の妻をもつこともあり、すると必然的に家族は大きくなる。その大人数の家庭内ではそれぞれの外での仕事以外に、母親が育児と家事を、父親は市場からの買い物を、女の子は母の手伝いや年下のきょうだいの子守や宿題の手伝いを、男の子は父親の手伝いや家具および電化製品の修理を、とそれぞれの役割をもって生活している。そして、一日一食は家族みんなで揃って温かい食事をとるようである。
  イスラム教のコーランにも、家族との時間は大切にするよう記載されているらしく、あまりに仕事に追われ、自宅でゆっくりする時間が少ない人には「ハラーム(宗教的に良くないこと)」と言われることもある。
  そうした家族の姿は、われわれ日本人が忘れかけていることではないかと私は思う。
  活動で障害者の生活を考えるときにも、この家族の温かさ故に、介助の手や自宅での理学療法プログラムを手伝ってもらう手に困ったことはない。一方で、この介助の手がかえって障害者の自立を妨げているとの意見もあるが、家族の存在により生活が大きく改善された障害者がたくさんいることも確かである。
  ここに生活してみて感じたことだが、ヨルダン製の製品は壊れやすい。また、言葉や約束の重みも軽く、仕事は進みにくい。日本製品や日本人の仕事には程遠いと言っても過言ではない。しかし、利用者の家庭訪問で家族の様子を見たり、大家さんや同僚の家に招待してもらって家族の姿を見たりすると、「何が豊かなのか」と考えさせられることがたくさんある。
 

■何を学び、何を伝えるか


  私は、理学療法士としての臨床経験三年を経て26歳にして、ここヨルダンに赴任してきた。専門家としての知識や経験も不十分なままではあるが、異文化に入って生活できる体力と気力をなんとか持ち合わせての赴任である。そして、アラブ社会、イスラム教、アラビア語と新しいことだらけの中でがむしゃらに過ごし、もうすぐ赴任して一年を迎えようとしている。本当にあっという間の一年だった。
  ふと、自分がヨルダンで驚いたことや喜んだことや悲しんだことなど、今までの経験を振り返り、残りの一年という期間で何をしたらいいのだろうと考えることがある。できれば私の帰国後も、任地や活動でまわった土地に何かが残るように、日々小さなことから取り組んでいきたい。また私の同僚は、私たち協力隊員の意見や提案をよく聞いてくれるし、本当に信頼できる同僚として一緒に働いてくれているだけに、余計に考えさせられる。
  気付くと、同僚たちが日常的に持ち歩くノートの数が増えていた。また、全く記録をしなかった同僚がミーティングでノートに書き留めるようになった。尋ねると、「貴方たちから学んだことよ」という同僚。私たちの仕事に取り組む自然な姿勢から、こうして「良い」と思う方法を取り入れてくれていたことはとても嬉しかった。
  今後も長く活用される仕事の方法を考えるには、自分の頭をやわらかくし、ここの価値観を理解して、何事も現地に合った方法を同僚と共に模索していく必要性があると思う。そして、その時にノートの例のように私のなかに培われた長所や持ち味を彼女たちに伝えていきたいと思う。
  残りの一年間、今までの期間に増して、色々な体験をして学び成長するとともに、理学療法技術やそれに留まらない色々なことを伝え、そして何よりもヨルダン人と楽しんで生活できたらと考えている。