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国際人権ひろば No.70(2006年11月発行号)

特集・持続可能な開発と人権-東南アジアの現実から考える Part2

「貧困削減」の名の下の踏みにじられる地域住民の人権 ~ラオス・ナムトゥン2水力発電事業

東 智美 (ひがし さとみ) メコン・ウォッチ

■「貧困削減のためのダム」:ナムトゥン2水力発電事業


 ラオス中部のナカイ高原で建設が進められているナムトゥン2ダムを、世界銀行やアジア開発銀行(ADB)、ラオス政府、実施企業などの推進者たちは、「貧困削減のためのダム、環境保護のためのダム」と呼んでいる。大きな輸出産業のないラオスにおいて、ダムを建設し、隣国タイへの売電によって外貨を獲得し、その歳入を保健や教育の分野に回すという、ダムによる貧困削減のシナリオが描かれている。また、ダム計画があることで、影響地域において希少生物の管理計画や森林伐採の管理計画などが実施され、環境保護にもつながるというのである。
 ナムトゥン2水力発電事業は、ラオスのGDPの7割にあたる約13億ドルという巨額の事業費を投じ、琵琶湖の3分の2に匹敵する450平方キロメートルを水没させる巨大なダム建設計画である。発電能力は1,070メガワットで、そのうち95パーセントにあたる995メガワットを隣国タイに輸出される。
 この事業によって、山岳民族など自給的な生活を送る6,200人もの人々が移転を強いられ、発電後の水が転流されるセバンファイ川では、増水によって、川沿いに暮らす10数万人の生計に影響を受けることになる。またかつて「東洋のガラパゴス」とも呼ばれた豊かな生態系が残るナカイ高原では、アジア象をはじめとする希少生物の生息地が破壊される。「貧困削減のためのダム」というスローガンについても、大きな疑問がある。世界銀行が「貧困削減の石油開発」を標榜したチャド・カメルーン石油開発プロジェクトは、歳入を貧困削減の分野に回すことに失敗しているし、ラオスには適切な歳入管理を行うための財政制度や公共政策がまだ整っていないことからも、計画通りに外貨獲得に成功できたとしても、本当にそれが貧困対策に使われるのかは不透明である。
 こうした環境社会影響や経済的リスクの大きさから、ナムトゥン2ダムは、10年以上にもわたって論議を巻き起こしてきた。しかし、NGOなど国際的な市民社会からの懸念が高まる中で、2005年3月31日に世界銀行が、その4日後にはアジア開発銀行(ADB)が支援を決定した。

■開発援助が引き起こす環境社会影響


 ラオスの過去数十年を振り返れば、「ラオスは貧しい国で、ダムを開発して電気を輸出することが経済発展への数少ない選択肢である」という理屈が繰り返し唱えられてきた。特に東西冷戦の終結とカンボジア和平の達成によってラオスへの海外からの援助や投資が増えたこの10年間では、ナムソン導水プロジェクト(ADB融資)、トゥンヒンブンダム(210メガワット、ADB融資)、ナムルックダム(60メガワット、日本の円借款とADB融資)といったダムが次々と建設されてきた[1]
 しかし、そのほとんどは、被影響住民に対して、事前に移転やプロジェクトの環境社会影響に関する十分な情報を与えないまま進められ、適切な影響の回避・緩和策、生じた影響への十分な補償策がとられてこなかった。こうした開発事業によって引き起こされた移転住民の貧困化、漁業被害、水不足などの問題の多くは、未だに解決に至っていない。過去の実績をみれば、ラオスにおけるダム開発事業は「持続的で環境にやさしい経済・社会発展のための選択肢」となるどころか、被影響住民の人権を無視して進められ、その結果生じた環境社会影響を回避・緩和できないまま放置されているのである。

■分厚いセーフガード文書では防げない人権侵害


 ナムトゥン2ダムに話を戻せば、世界銀行およびADBによる支援決定について、これらの機関を担当する財務省国際局の石井菜穂子参事官は、「ナムトゥン2ダムはラオスにとって大きなチャレンジ、それを支援するのが国際のミッション」だと語った。さらに、世界銀行の日本の理事が支援に賛成した理由について、「歳入の貧困削減目的への適切な利用、...希少動物保護などを含む環境社会配慮の実施、被影響住民との有意義な対話、というのが本プロジェクト成功のためには必要であり、こうした点を本当に確約できるのかと(世界銀行の事務局に)確認したところ、確約するという返事があった。...そうしたことから、最後に日本の理事は(世界銀行によるプロジェクト支援に)賛成した」と述べている[2]
 参事官の発言に「世界銀行が環境社会配慮策の適切な実施を確約した」とある。確かにナムトゥン2ダムの準備に向けて、膨大な調査が行われ、環境社会被害を回避・緩和するための分厚いセーフガード文書が作られている。しかし、この分厚いセーフガード文書をもって、地域住民の人権に配慮してプロジェクトが実施され、ラオスの過去の事例に見られるような環境社会被害を防げるかと言えば、そこには大きな疑問がある。
 2004年9月、ラオスの首都ビエンチャンで、世界銀行主催のナムトゥン2ダム計画に関するワークショップが開催された。世界銀行、ADB、ラオス政府、企業、NGOなどが参加する中で、被影響住民の代表者は「私たちの望みは世界銀行がナムトゥン2ダムを支援することです」との演説を行った。しかし、現地で活動するNGOによれば、移転住民は水田や水牛放牧地を失い、慣れない商品作物栽培に生計の転換を強いられる移転後の生活への不安を語っている。一党独裁の社会主義体制で、言論や表現の自由が著しく制限されているラオスにおいては、こうした不安が、政府関係者や企業を前にしたコンサルテーションの場で語られることは難しい。
 さらに、世界銀行が自信を持っていたはずの環境社会配慮政策には、すでにほころびが出始めている。融資決定から1年半が経過し、現地の新聞では工事の順調な進捗状況が伝えられている。ナカイ高原に生息する希少生物に対する管理計画、プロジェクト実施計画、詳細な移転計画など、環境社会配慮上重要な文書の完成・公開が予定よりも大幅に遅れた。また、明確な伐採管理計画が完成する前に、水没予定地での伐採が実施されている。こうした伐採が行われれば、村人は食料としても現金収入源としても重要な非木材林産物へのアクセスを制限され、希少生物への影響が生じる可能性がある。
 2002~03年に移転が行われたパイロット村では、企業からトレーニングを受けて、キャベツなどの換金作物を栽培しているが、生産者の増加によって、価格は3年の間に3分の1に下落した。水田を失っている村人は、米を手に入れるために、貴重な財産である水牛を手放すこともあるという。農村部の多くの人々が自給的な稲作と森林資源や漁業資源に依存した生活を営むラオスでは、現金経済への転換を前提とした移転政策は、地域住民の生計手段を奪うことになりやすい。
 現在、ナカイ高原で起きている問題からは、いくら多くの資金や専門家を投じて作られた環境社会配慮策であっても、その実行は非常に難しいということが分かる。

■進むダム開発計画と生み出される新たな貧困


  ナムトゥン2の環境社会影響に関して、市民社会が挙げていた懸念が現実のものとなりつつある中、最近のラオスでは、タイ・中国・マレーシア・日本などの民間企業によるダムへの投資も続々と行われている。世界銀行が組織を挙げて、自然・社会環境への悪影響を回避しようとしてきたナムトゥン2でさえ、すでに環境社会配慮策は行き詰まりを見せているのであるから、こうした民間投資によるダム開発が深刻な被害を引き起こすことが懸念されている。人々が自由に意見を表明できないラオスでは、ラオス政府が政策として推進するダム建設事業に対し、開発プロセスにおける真の意味での住民参加を確保し、被影響住民の人権を守ることは不可能に近い。このまま次々とダムが建設され続ければ、「貧困削減・環境保護」のスローガンの裏で、弱い立場におかれている少数民族の人々をはじめとする、被影響住民の人権は踏みにじられ、新たな貧困が生み出され続けることになるだろう。

1. 東智美(2004)「ナムトゥン2ダムは例外なのか!?~ラオスのダム建設による未解決の環境・社会問題~」メコン・ウォッチ『フォーラムMekon Vol.6 No.2』
2. 財務省-NGO定期協議特別セッション(2005年4月12日開催)の議事録より。