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国際人権ひろば No.69(2006年09月発行号)

特集:市民の視点から考える日比国交回復50周年 Part2

日本人とフィリピン人との国際結婚を通して考える多文化共生

佐竹 眞明 (さたけ まさあき) 名古屋学院大学教授

■はじめに


  先日、職場の先輩からゴーヤ(苦瓜)の苗をもらった。フィリピン人が妻で、フィリピンでもよく食べるので、うれしいですと伝えたら、「あ、そうですか。息子の嫁がフィリピン人なんです」と言われた。「それがかわいい。私をおとさんと呼ぶ。発音がおかしいけど、おとさんと呼ぶ」。彼女は23歳。2歳の男の子がいるという。「それにとてもやさしい。体調が悪かったら、おかゆをつくってくれた。食べたら、元気になったよ」。「それに心が澄んでいて、鏡のようだ。そこに自分の醜さが映し出されるように感じる」。孫を連れて、三重から訪ねてくると聞くと、うれしくてそわそわするそうだ。異なった文化とともに生きる。そんな世界が身近に広がってきた。

■日本における国際結婚


  日本人と外国籍者との結婚、いわゆる国際結婚は1980年代から増えてきた。1985年12,181組だったが、1990年には25,626組と倍増、2000年には36,263組と3倍に達し、2004年では39,511組と4万組近くまでになった。2004年、日本における結婚総数は72万417組、日本人同士が68万906組であり、国際結婚は全体の5.48%を占めた。新婚夫婦の20組に1組は新婦か新郎が外国籍という時代になったのだ。
  こうした国際結婚では、日本人男性と外国人女性というカップルの割合が高い。2004年では、日本人男性と外国人女性との結婚は3万907組で、国際結婚の78.2%を占める。外国人女性の国籍・出身地をみると中国が11,915人、フィリピンが8,397人、韓国・朝鮮が5,730人、タイ1,640人、ブラジル256人といった具合である。アジア女性が多い。近年は日本で暮らす日系ブラジル人やその家族が増加しており、ブラジル人との結婚も増えてきた。ただし、過去を振り返ると、国際結婚の相手として1992年から1996年までフィリピン女性がトップだった。1997年から中国女性が上回るようになったが、依然フィリピン女性との結婚は2位である。
  では、なぜ日本人男性と外国人女性、特にアジア人女性との結婚が増えたのだろうか。まず、1980年代、日本が「経済大国」として、経済力が強くなった点があげられる。旅行やビジネスで海外に出かける日本人、日本に来る留学生(韓国、中国人が多い)が増え、日本人と外国人とが出会う機会が増加した。また、1980年代半ばから日本における労働力不足、日本との所得・経済格差によって、日本に出稼ぎ労働に来る外国人が多くなった。とりわけ、各地のパブやクラブで、シンガー、ダンサーとして、フィリピン女性が数多く働くようになった。そして、日本の男性客と知り合い、結婚するケースも増えていった。
  他方、女性の晩婚化や男性の独身率の増加に見られるように、日本男性の結婚難も指摘できる。生涯のパートナーを求めて、フィリピン・パブに通った男性客も少なくない。また、男性の結婚難は過疎化に苦しむ農村でも深刻だった。「嫁不足」が深刻な東北・山形では、1985年、町役場が結婚業者と提携して、農家の男性とフィリピン女性との集団結婚をまとめた。男性たちをフィリピンに連れて行き、女性たちと見合いをさせ、結婚式を挙げ、そして、村に女性たちを迎えたのである。その後、山形、秋田といった東北だけでなく、新潟や徳島の村々も業者と提携して、フィリピンから「花嫁さん」を迎えた。90年代以降は行政機関が直接関与しなくなったが、結婚業者が農村だけでなく都市の男性に対しても、中国、韓国、ベトナム、フィリピンなどの女性を紹介してきた。

■調査をした経緯


  さて、フィリピン人の連れ合いと筆者はフィリピン人女性と日本人男性との結婚に関して、検討し、60組の夫婦について、文をまとめてみた(※参考文献)。なぜ、こうした調査を行ったか、やや私事に及ぶが、記してみたい。1990年筆者夫婦は結婚し、2005年3月まで住んだ四国を中心に、各地で日比夫婦に出会ってきた。飲食を共にしたり、一緒に出かけたり、あるいはあらたまって話を聞かせてもらう中で、日本社会において地殻変動が起きているのではないかと感じるようになった。
  つまり、国際結婚において異文化体験や交流がここまで深まってきたのかという感慨を覚えたのである。そもそも例えば日本人の男性が日本のパブで外国人=フィリピン女性と出会う。さらに、相手の両親から承諾をもらったり、結婚の準備をしたり、妻の里帰りに同行して、フィリピンを訪れ、異なった文化に触れる。フィリピンの親戚とも交流し様々な体験をする。
  また、日本で結婚生活が始まると、妻は言葉の習得、気候や文化の違いに戸惑う。夫も辞書片手にコミュニケーションに四苦八苦だ。やがて、家族を優先し、男女平等意識の強いフィリピン人妻の影響を受け、家族や妻との関係を夫たちが見つめ直したりする。他方、妻は日本人を夫とする別のフィリピン女性と友達になり、支えあいながら、たくましく生きていく。かつてパブで働いていた女性も弁当工場や焼き鳥工場でパート労働に就き、働く母親となる。そして、日本の暮らしが長びくにつれ、日本を第2の故郷とみなし、高齢になるまでは日本にとどまろうと決心する。そんな中で、日本人の父、フィリピン人の母から生まれた子どもたちは親と異なった「ダブル」としてのアイデンティティを持ちながら、成長していく。
  2005年、日本で暮らす外国人登録者の数は200万人を越えた。確実に国際結婚は日本の多文化化を推し進めている。「当事者」でもある夫婦として、国際結婚が日本社会にもたらすインパクトを検討したいと思ったのである。

■多文化共生


  そこで、鍵になる言葉は「多文化共生」である。多文化共生とは異なった文化的背景を持つ人々がお互いの文化的差異を尊重しながら、平等で公正な関係を築き、ともに生きていくという原理である。民族的少数者の文化を尊重し、その権利を保障することが大きな柱である。在日外国人がいっそう増える中で、重要な考え方となってきた。ここで、フィリピン‐日本国際結婚からみえる多文化共生を考えてみたい。
  まず、文化的差異の尊重という点では、家庭の中でフィリピン語や英語が使われてもかまわないという日本人の夫が比較的多いことを指摘したい。子どもたちが複数の言葉に習熟して、「国際人として育ってほしい」と述べた男性もいる。また、妻の実家に滞在した経験から、フィリピンが気に入り、日本でフィリピン料理店を開いた男性もいる。他方、母国の言葉や文化を伝えようと、子どもにフィリピン語、地方語、英語を使う母親もいる。カトリックの洗礼を受けさせ、教会に連れていくのも子どもへの文化継承となっている。
  また、共生といっても、物理的に日本社会で共に暮らすだけでは意味がない。平等、公正という基準が満たされねばならない。この点に関しては、女性たちの就労が問題となる。多くがパート労働に従事し、専門職につく例は限られる。教育暦や才能を十分に生かせていないのだ。「多文化主義」を政策として掲げるオーストラリアのように、日本でも移民に対する職業教育が提供されるべきであると思われる。こうしたフィリピン女性の就労状況を踏まえ、フィリピン人介護士の日本への導入に関して、ある男性がこう言った。彼の妻もフィリピン人である。「高齢者を介護するためといっても、これも日本で人手が足りなくなったからでしょ。本来、東大病院の看護師長にフィリピン女性がなってもいいはずです」。平等な雇用こそ、大事だというのである。
  さらに、フィリピン女性以外の「外国人労働者」との共生はどうか。こんな事例もある。造船会社で働くフィリピン人男性の研修・実習生が法定最低賃金さえ受け取っていない、何とかしてほしいと日比夫婦たちに訴えた。そこで、夫婦たちが行政機関や労働組合の力を借りて、事態改善に取り組んだ。つまり、低賃金労働力として研修生の人権が踏みにじられた。ゆがんだ「国際化」、「非共生」を正し、「外国人労働者」との共生を実現しようとしたのである(詳しくは参考文献第6章)。

  確かに、国際結婚自体が「多文化共生」にそのままつながるわけではない。配偶者やその文化、人権を尊重せず、気に食わないとして暴力をふるう夫もいる。離婚もある。つまり、家庭内の「共生」さえ、実現しない事例もある。ただし、2004年日本人・夫‐フィリピン人・妻という夫婦の離婚率は40.4%である。日本人夫婦の離婚率37.5%と比べると、顕著に高いとはいえない。付言すると、国際結婚は文化や慣習の違いから長続きしないとみなされることもあるが、一概にそうはいえない。それどころか、異文化間結婚はさまざまな異文化体験・交流を含み込んでおり、「多文化共生」を家庭や地域でもたらしつつあり、さらに推し進める可能性がある。

※参考文献:佐竹眞明、メアリーアンジェリン・ダアノイ『フィリピン‐日本国際結婚-移住と多文化共生』、めこん社、2006.