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国際人権ひろば No.60(2005年03月発行号)

現代国際人権考

人権教育は学校だけに任せていてはいけない

森 実 (もり みのる) 大阪教育大学教授・ヒューライツ大阪企画運営委員

人権教育のための世界プログラム


  「人権教育のための国連10年」が終わり、2005年から「人権教育のための世界プログラム」が始まった。第1段階(2005-2007年)は、初・中等教育が焦点になっている。このことの意義は、いくつかの角度から捉えることができるが、いずれも結論は、学校だけに任せていてはいけないということになる。
  世界プログラムの第1段階として初・中等教育に焦点が合わされたのは、世界的展望で教育を見たとき、ごく当然のことといえるだろう。初・中等教育は、文字通り最初に受ける学校教育で、学習者の人数も最も多い。この初・中等教育の段階で人権教育がなされていなければ、あとの段階で行われるとは考えにくい。しかも、世界的には「人権教育のための国連10年」が思ったほど広く取り組まれなかったので、基礎的な段階から行う必要は明瞭だった。どこかに焦点を絞ってプログラムを組むとすれば、それが初・中等教育になるというのは、十分にうなずけることだ。
  それでは、日本の場合はどうだろうか。日本では、同じように考えるべきではないというのが私の意見だ。
  日本の小学校は、世界的に評判がよい。最近学力低下が叫ばれているが、それでも日本の小学校に対する批判は少ないと言えるだろう。日本の学校は、小学校より中学校、中学校より高校、高校より大学と、学習者の年齢が上になるほど国際的には評判が悪くなる。日本では、小学校よりは中学校での教育の方が大きな課題だと私には思える。しかもそれは、中学校そのものに問題があるというよりは、日本の受験制度のあおりをくらって中学校が大変な状況になっているという面が強い。日本は、「人権教育のための国連10年」に、それなりに取り組んできた国である。高校はともかく、ある意味で日本の初・中等教育は、よくやっているのだ。
  日本の小・中学校は、人権教育に限っても、それなりに成果を上げている。人権教育の研修でも、副読本など教材の開発という点でも、全国同和教育研究協議会など、人権教育を推進する団体という点でも、その努力は小・中学校に傾注されている度合いが強い。
  現在、小学校の子どもたちをめぐってさまざまな事件や問題状況が起こっている。しかし、それらも、小学校に問題があるというよりも、小学校を取り巻く地域や家庭、社会などの問題が小学校に押し寄せているという方が的確だろう。小学校に問題があると強いて言うとすれば、それはそのような社会の変化に小学校が十分対応し切れていないという点だ。

市民による人権活動の重要性


  以上のような理由で、私は、もしも日本で小・中学校に焦点を合わせるとすれば、小・中学校自体がさらにがんばるという以上に、そこに関わっている家庭・地域・社会が小・中学校のために何ができるかを考えて行動するということこそ課題だと思う。もっと正確に言えば、小・中学校に関連する人々は、小・中学校のためにというのではなく、自分たち自身の人生と人権のために、なにかの行動をせいいっぱいするべきだということである。
  日本で決定的に弱いのは、人権や人権教育のための市民の活動だと私には思える。子どもの虐待防止や安全確保、子どもへの地域活動、保護者の仕事保障、映画やテレビなどでの子どものための番組づくり、若者の進路保障などなど。そのことこそが、小・中学校の人権教育を促進することになるはずだ。
  もちろん、小・中学校が何もしなくて良いというのではない。文部科学省の設置した調査研究会議が2004年6月に発表した「人権教育の指導方法等の在り方について[第1次とりまとめ] 」に示された点の多くは、学校でぜひ取り組んで欲しい事柄である。しかし、それらも多くはすでに小学校の中にその芽は十分に見受けられる。

「人権の時間」の設定を


  小・中学校で私が唯一「実施すればよい」と手放しで思うのは、「人権の時間」を学習指導要領などによって正式に設けることである。現在の学習指導要領が法的拘束力を持っているということはおおいに再検討の余地があるが、何らかの公的基準で「人権の時間」を設定すべきだというのが私の意見だ。小・中学校ともに「人権の時間」が設けられれば、自ずと系統性や順次性についても議論にのぼる。教科書ではないにせよ、教材は現在と比較にならないぐらい充実することになるだろう。
  そのこととも関連して、人権教育をめぐる日本の重要な課題の一つは、人権教育をおもな仕事にして給料をもらっている人がほとんどいないということだ。「人権の時間」を設ければ、それが一挙に解決する。研修でも、「人権の時間」に対応する研修が不可欠となる。そうなれば、教育委員会での研修を担当し、大学の教員養成課程で教職科目としての人権教育を担当する人が雇われることになる。これこそ、日本の小・中学校で人権教育をさらに推進する上で特効薬級の意義ある事業である。「道徳の時間」を切り替えるのがもっともやりやすいだろうが、それにこだわるものではまったくない。

「人権教育の指導方法等の在り方について」の全文は文部科学省のウエブに掲載