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国際人権ひろば No.55(2004年05月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

識字活動を通した「地域際交流」を進行中

廣瀬 聡夫 (ひろせ のぶお) NPO法人ダッシュ理事長

大海は一滴から


 2003年11月にヒューライツ大阪で行われた学習会「EFA(すべての人に教育を)&国際識字の10年の意味するもの」に参加した。その中で「いくらNGOが支援をしても大海の中の一滴にしかならない」という指摘があった。各国政府が識字や基礎教育の事業をきちんと行う必要性は認識しつつも、97年以来、バングラデシュとの交流をしている立場から、私は「されど大海は一滴から」と発言した。そこで「国連識字の10年」(2003-2012)スタート記念事業実行員会が、04年3月20日から31日まで実施したアジア識字スタディツアーでのバングラデシュの経験を報告してみたい。

3度目のバングラデシュ訪問


 今回でバングラデシュ訪問は3回目。初回は97年で、その時はたいへん厳しい環境で学ぶ識字学級生の姿に感銘し、それを行うNGOにカルチャーショックを受けた。行政に対する責任追及の闘いに慣れた我が身からは、NGOの活動スタイルは新鮮で、後のNPO法人ダッシュ発足につながった。しかし、結局はバングラデシュの見学にすぎなかったのではないか?という反省も残った。
 2回目は2000年12月で、前回以降、書き損じハガキ運動などで支援してきた同じバングラデシュのアムラボ村や日本で交流したネパールのNGOと視察・交流(識字カルタのベンガル語版を持ち込み、日本での学習の様子も紹介)してきた。
 そして今回の交流のツールとして、阿久澤麻理子・兵庫県立大学助教授による英語でのダッシュの活動紹介のレポートと大阪府和泉市での識字活動をえがいたビデオ「がんばる識字」をパソコンに入れて持参した。

お互いの地域活動の経験交流


 3月22日、首都ダッカでストリート・チルドレンの支援を行っているNGOオポロジョエの視察へ。都会に出てくる子どもたちが一番先に集まるバスターミナルの2階がオープンスクールだ。そこでは家事労働をしている絵を見せて、子どもにとって危険な仕事を教えたり、英語のアルファベットの学習もしていた。次の段階として実施されているドロップインセンターでは、子どもが安心して寝たり、お風呂に入ったり、財産を預かったりする、いわば子どものデイサービスだ(その次の段階は宿泊するクラブ、最後の段階としては職業訓練などを行うホステルと続く)。
 そのドロップインセンターでは、スタッフのセリムさんと3回目の再会をした。愛情に飢え、傷ついている子どもたちに、寄り添い、与え、癒し、そして自立への道筋を作っていこうというオポロジョエのプログラムには感心するばかりである。私は「日本では同じようなストリート・チルドレンの状況はないが、むしろ、傷ついた子どもは表面に出てこなく、家庭で引きこもったり、虐待されており、ダッシュが連携しているプログラムとして、チャイルドライン(電話をつかった子どもに対する癒しとエンパワメントの相談事業)を行っている」と紹介した。
 セリムさんもチャイルドラインを知っていて、「我々もやりたい」と言われた。取り組みのスタイルと課題は違うが、我々の問題意識が共有化された瞬間であった。
 3月23日はダッカから4時間かかって、見慣れたPAPRIのアムラボ事務所に到着。スタッフとのミーティングで、日本のNGOであるシャプラニールから独立し、地元の人たちによるローカルな地域活動をするPAPRIの事業の説明を聞いた。
 従来は、生活改善などのために、住民の自主的なグループ(ショミティ)を組織して支援事業を行ってきたが、そうした手法では、障害者などは結果として排除されてしまう。そこでPAPRIは障害者プロジェクトを起こし、車いすの提供や手工芸品の製作などの職業訓練の取り組みをしていた。
 私自身は障害者運動を中心的に担ってはいないが、地域での経験から、効率の論理になると障害者の事業は健常者のそれに負けること、障害者自身の特性が生かせる仕事(例えば、さをり織り)で勝負していかねばならないこと、また障害者自身の姿が見えにくい製作の仕事より、販売などの目に見える形にすることによって、独自の販路を確保したり、健常者と障害者の人間関係づくり、障害者に対する理解の促進につながることなどの経験を紹介した。
 次に我々からは、部落解放運動の行政依存傾向の脱皮にあたり、バングラデシュでの交流の経験が大きいこと、識字が様々な自立促進の事業につながっているPAPRIのやり方は、我々にとっても貴重な経験となることを説明し、識字ビデオを紹介した。パソコンを使った障害者の識字の様子は、パソコンは学力のある一部の人が使うものと認識していた彼らにとって、カルチャーショックのようで、説明を聞く目の色が変わったようだった。いつもは単に見学に来るだけの日本人から、地域活動の経験の事例を提供されるとは思いもよらなかったのだろう。
 終了後、通訳したシャプラニールの駐在員や同行した立教大生も「バングラデシュで日本の識字の勉強ができるとは思わなかった」との感想も出されていた。PAPRIのスタッフもダッシュなどの諸活動に興味を示し、我々が「地域際交流」にこだわってきた成果を痛感した瞬間だった。
 夕食後は村の男性識字学級を訪問。真っ暗な道の中、教室に到着すると、大歓迎の人々でいっぱいだった。保健衛生に関する識字学習のあと、和泉の識字ビデオを紹介。質問では「識字をやって儲かるのか?」といった単刀直入な質問も出て、少し答えに窮する場面もあった。翌日は、子どもの補充学習、女性の識字学級の様子なども見学し、アムラボ村をあとにした。

我々が学んだこと


 国際協力NGOの世界では、けっこう人の異動もあって、横のつながりがあるようだ。一方、識字や日本語教室の現場も、大阪においてはそれなりに交流がある。しかし、その両者はつながっているとは言えない。枕言葉で「国際識字」と言っていても、それらを具体的につなぐしくみが必要だ。我々が識字だけでなく、チャイルドラインや障害者運動の経験を紹介できたのも、部落解放運動が地域を拠点としてあらゆる課題にチャレンジしているからだ。
 そうした経験を海外協力NGOの中に求めることは無理であろう。しかし、我々と国際協力NGOがつながることによって、一方通行ではない双方向の交流ができるはずである。ただ、こうした国際連帯活動を行政の金を使ってやろうとすると、和泉市行政が姉妹都市でもないバングラデシュのアムラボ村に支援する必然性はなく、NPO・NGOとしての自前の金とこだわり(ミッション?)が必要だ。
 また、特別施策という同和地域限定の行政事業によって支えられてきた部落解放運動は、その金を出す行政の縦割りシステムに縛られて、「識字は教育委員会の仕事。識字・よみかきの保障だけ!」 となってしまいがちで、PAPRIのように地域住民のトータルな生活改善には充分つながっていない。日本での一般的な識字に対するイメージである「文字のよみかきのできないかわいそうな人を応援する」ではなく、バングラデシュで我々が答えに窮した「識字をやって儲かるのか?」の質問に明確に答えられた時、我々の識字学級も、いまだ結集しきれていない本当に識字を必要とする人々に欠かせないものとなれるであろう。

ダッシュは1999年10月に設立された。これまでの同和地区を中心とする部落解放運動から生まれ、NGOやNPOの市民運動に育てられ、新しい人権教育のしくみづくりにダッシュは挑戦している。大阪府和泉市の北部に拠点をおき、ローカルに、しかしオンリーワンをめざしてさまざまな事業を展開している。ウエブサイトは、http://www.npo-dash.org/