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国際人権ひろば No.50(2003年07月発行号)

特集・ユネスコ反人種主義教育国際会議 Part 3

多文化への道をどう開くか --ブラジル人の子どもと学校、そして未来--

宮島 喬(みやじま たかし) 立教大学社会学部教授

■ 来日が増え、もう十数年


 黒の詰襟の二人の少年が国際教室に入ってくる。一人は同年くらいの日本人少年によくありそうな容貌、いま一人は半分ヨーロッパ風のプロフィルで、髪の毛も栗色。待ち構えていた二人の教員がさっそく指導を始める。一人は持ってきたノートに繰り返し、繰り返し漢字熟語を書いては、はね方や筆順を直してもらっている。いま一人は、国語の教科書の中の文章を読まされて、「『彼ら』とは誰を指すの?」、「『たそがれ』とはどういう意味?」といった質問を受けている。
 二人に共通しているのは、小さな声でぼそぼそと答えていることで、緊張している、自信がない、ということがはた目にも分かる。普段の彼らはもっと陽気に大声でおしゃべりをするにちがいないと思うと、気の毒にさえ感じられる。東海地方のある中学校の見学をさせてもらった時の光景だ。
 「出入国管理及び難民認定法」で日系外国人対象の特別な受け入れ制度が設けられ、南米から多数の人々がやってくるようになってもう十数年。近年の不況で適当な職がなく、地域によっては数が減少をみている所もあるが、ブラジル人はそれでも約26万人と大きな集団である。子どもを伴う来日、日本での新たな出生も少なくない。すでに日本語会話はぺらぺらという子どもも多いが、上のように新規来日者も常にいる。義務教育学齢期の子どもの数は2万人くらい。だが、彼らの日本の学校での学習は、一口でいうと困難に満ちている。
 子どもの多くは四世くらいにあたり、根っからのポルトガル語育ちが多いようで、アルファベット世界からの来日者である。「漢字はこちらに来て初めて知った。平仮名は覚えられるが、漢字はそうはいかない。漢字を平仮名と混ぜて書くのはすごくむずかしい」。こうした言葉を聞いていると、ただでさえむずかしい教科の日本語(「因数分解」「新陳代謝」「尊皇攘夷」、等々)を前にしての彼らの戸惑いと一種絶望感が伝わってくる。

■ 「出稼ぎ」環境の厳しさ、来日に納得していない子も


 それだけではない。彼らはなぜ日本に来なければならなかったか、本当のところ納得していないようである。親の都合で突然、親しんでいた土壌から引っこ抜かれ、全く異質な土に乱暴に移植された。そんなイメージを彼らは時に語る。来日が納得できなければ、なかなか学習にも身が入らないだろう。その上、来日後2度も3度も親の仕事の都合で移動しているケースや、いったんブラジルに帰国して再来日しているケースはざらである。「学校をあちこち変わっている間に、授業が分からなくなった」という声をよく聞く。「授業が分からないのに、学校に行っても意味がない」ともいう。そいう状況を分かった上で、配慮してくれる人が周囲にいればよいのだが、子どもたちの多くはその点恵まれていない。
 親たちの心も彼らに必ずしも十分寄り添っていない。「私たちは出稼ぎなのだから・・・」という気持ちが先に立ち、残業を常態とする生活で、両親とも帰宅は遅い。子どもの多くは「親と接する時間がブラジルにいた時より少なくなった」と語っている。子どもが不登校の崖っぷちまできていても、出稼ぎ的働き方のパターンを変えようとしない親。子どもは恨めしくもなるだろう。彼らにとっては一回きりの人生の取り返しのつかない時期なのに。教員のOさんは、ブラジル人保護者たちに「あなたのお子さんが今どういう状況にあるか注意を向けてください、保護者会にも来てください」と懸命に呼びかけている。

■ 善意の教員たち、しかし学校の対応には大きな限界


 指導に懸命な善意の先生はいる。文字カード、絵カードを使って根気よく初歩の指導をしている人、指導に役立てるためとポルトガル語を独習する人、「放課後でも何時でも分からないことがあったら聞きにきなさい」という態勢でいる人など。しかし、教育委員会、学校側での公式の対応には色々と問題、限界がある。
 知ってのように日本の義務教育は外国人には適用されないから、教育委員会は外国人の子どもの就学状況をきちんと把握していない。親が就学を希望し手続きをしないかぎり、子どもは放任されていて、未就学状態に置かれる。
 他方、日本語の不自由な児童・生徒がどっと編入学してきた場合、国際教室が設けられている学校でもお手上げである。現在の規則では、国際教室担当教員の配置は一校2名が上限と決められていて、一校で30~50人も在籍者がいるような所では、とても指導に手が回らない。愛知県などの外国人多住都市内の公営団地が近くにあるような学校では常時みられることで、よくこんな訴えが聞かれる。「マン・ツー・マン指導が望ましいのに、子どもの数が多く、そういう体制が組めず初期指導だけで終わってしまい、残念である」。指導者の増員、それは絶対に必要である。
 いま一つの大きな問題は、それは教育にオルタナティヴが与えられているのか、である。

■ 「多文化」に開かれた教育とは?


 子どもたちの気持ちを推測してみる。今は日本に生きているが将来はどこで生きるか分からない、日本に生きていくつもりだがブラジル人のアイデンティティはもち続けたい、日本人にはないような能力を生かして将来仕事をしたい、等々。とすれば、ここで浮かび上がってくるのは「多文化教育」の必要だろう。日本の学校教育が暗に前提するのが「日本国民をつくるための教育」だとすれば、上のような外国人児童・生徒の願望を前にして、その問い直しはぜったいに必要である。
 母語であるポルトガル語を子どもたちに保持させるため、これを教える場が是非あってほしい。中学校では外国語科目は英語のみではなく、地域の実情に応じてポルトガル語、スペイン語、中国語なども加えてほしい(日本人の子どもも一緒にそれを学ぶ)。そして、社会、地理、歴史では、偏狭な日本中心主義ではなく、本当に国際性のあるカリキュラムをつくってほしい。そのためには、近隣アジア、そして途上国の教育関係者を含めた国際協力による教科書づくりが望まれる。いずれについても文部科学省は腰が重いだろうが、これらは、是非踏み出すべき「多文化」教育への第一歩だと思うのである。

■ 奮闘する地域のボランティア


 最後に、子どもたちを受け入れ、援け、学校生活へ、あるいは社会生活へとみちびく重要な働きをしている地域ボランティアの役割に一言したい。義務教育ではないからケアがない、授業についていけずにこぼれ落ちる、学校は個別には十分対応できない・・・そうした子どもたちに支援を続けているボランティア学習室がいくつかある。
 愛知県T市のY教室。その代表者のIさんは、「能力も可能性もあるはずのこの子どもたちを落ちこぼれにしたくない。彼らが日本で生きる道を探してあげたい。そのためには学習指導が第一だが、就職のための社会的訓練でも何でもやるつもり」と語る。Iさんと仲間のスタッフは、月~土の毎日、午後4,5時間は学習室をオープンし、やってくるブラジル人ほかの子どもたちの国語、算数などの教科支援や造形教室にがんばっている。
 こうした人々のひたむきな奮闘、活動をみるにつけ、賛嘆の念を禁じえないが、また国としての確立された政策指針もなく、学校現場に、さらにはボランティア学習室に対応がゆだねられている現状に、あらためて「これでよいのか」という思いを強くする。

(※宮島喬さんは、「ユネスコ反人種主義教育国際会議」に参加した専門家のひとりです。)