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国際人権ひろば No.34(2000年11月発行号)

アジア・太平洋の窓

韓国・北朝鮮の統一とドイツの経験

~韓国でのドイツ人訪問団との対話~

ジョン・フェファー(John Feffer)
アメリカン・フレンズ・サービス・コミッティー[AFSC]

 6月に行われた韓国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の歴史的首脳会談の後、朝鮮半島の統一は具体性を帯びてきた感がある。二つの国は経済、政治、軍事関係をより深めてきている。朝鮮戦争時に離散した家族の再会が改めて始まり、シドニーオリンピックでは両国チームが合同で行進、2002年にはサッカー・ワールドカップの数試合を北朝鮮で開催という話も出ている。

韓国とドイツの交流

 韓国・北朝鮮の統一への道のりはまだはっきりとは見えないものの、いくつかのヒントがドイツの統一の経験に見ることができる。韓国・北朝鮮の両国はドイツの経験からどう学ぶことができるのか。ドイツの過ちをどう回避できるのか。

 韓国とドイツの間ではこれまでにも多くの関係者が行き来し、両国の特徴を比較的に分析した様々な文献が生み出されてきた。これらの研究、そして関係者は概してマクロな問題に焦点を当ててきた。例えば、統一に際してかかる財政負担、政治的統合、地政学的影響などである。しかしながら統一が普通のドイツ人に日常的に与えた心理的影響についてはほとんど注意が払われてこなかった状況がある。

 果たして旧東西ドイツ出身者の間で予想し得なかったどのような対立が起こったのか。そして、それらの対立にどう注意が寄せられてきたのか。また人権の問題はどう捉えられてきたのか。

 今年7月、ドイツから4人の訪問団が韓国を訪れ、統一について、そして対立の解決について話し合い、交流する取り組みが行われた。韓国の三つの団体と私の所属するアメリカン・フレンズ・サービス・コミッティー(AFSC)東京事務所が取り組みを支援した。代表団は旧西ドイツ出身者と旧東ドイツ出身者が二人ずつの構成であった。

ドイツの経験

 会場の韓国人参加者は、旧西ドイツ出身者が統一ドイツの「おおやけの顔」でいるのに対して、旧東ドイツ出身者はあまり目立たないでいることを知った。二つのグループの間の賃金格差は不平等のままである。西側からの多額の投資にもかかわらず旧東ドイツは相対的に開発途上のままでいる。旧東ドイツ出身者は、いくつかの例外を除いて、旧西ドイツ出身者が自分たちの現状や過去50年の遺物を理解していないと感じている。「二級市民」という感情が、政治的無関心、怒りや絶望、そして暴力にさえも転換されている。一方、旧西ドイツ出身者の多くが統一にかかる負担(それは西ドイツ政府によって痛みのないプロセスとして約束され誤解された)に対して懸念の声を挙げ、そして、西側から流れた資源に対して東ドイツ出身者に感謝の態度が感じられないと不満を言ってきた。

 このような社会的、心理的摩擦は韓国の統一運動家や平和運動家にとって極めて重要な問題である。なぜなら彼(彼女)らは、中国や日本、そして特に北朝鮮という韓国国外に暮らす民族同胞との関係を考えているからである。今後、韓国と北朝鮮の人的交流が進むにつれ、社会的、心理的問題はより顕在化するだろう。現在、1000人弱いるとされる韓国内の北朝鮮出身者は、政府の相当な支援にもかかわらず韓国社会に適応する上で様々な問題に直面している。また、中国内で韓国人が所有する工場や韓国内で増加する朝鮮系中国人よる投資など、中国の朝鮮民族との交流が増すにつれ、社会的、経済的領域で様々な対立がもたらされてきている。

学んだ教訓

 「統一に対する私の望み? それは彼らが私たちの声をもっと聞くことです」

 旧東ドイツ出身の訪問団員の一人はそう述べた。彼女は統一を振り返り、ドイツが経験した一つの失敗を韓国・北朝鮮が繰り返さないようにと警告した。旧西ドイツ出身者が旧東ドイツ出身者の声に耳を傾け、尊重し、知ることに失敗したということである。

 確かに東西ドイツの間には韓国と北朝鮮の間よりもはるかに多くの個人的かつ組織的な交流が存在していた。「統一以前の交流があったために、私たちは互いを知っていると思っていた」と別の訪問団員は語った。しかし、それら交流があったにも拘わらず二つのドイツの人々は互いを十分には理解していなかった。彼(彼女)らは同じ言葉を話し、雑に言えば1945年までは同じ歴史を共有していた。しかし、社会主義と資本主義という二つのシステムは共にドイツ人の世界の見方を著しく形成していた。共産主義の崩壊後でさえも旧東西ドイツ出身者は異なる考えを維持し、例えば旧西ドイツ人は自由を最も大切な価値とする一方で、旧東ドイツ人は社会的な安全や安定により重きを置いてきたのだ。

 1990年、東ドイツは国家として消滅し、良いか悪いかは別として、東ドイツの特徴の多くもまた消滅した。投票による決定を経て西ドイツと統合したものの、東ドイツの人々の多くは自分たちの経験が無視されてきたと感じてきた。二つのグループが力を合わせて新しい国をつくってきたというよりむしろ、主として東ドイツの側が西ドイツ社会、西側の経済、政治、消費社会に適応してきたといえる。

 北朝鮮は東ドイツのように相手側に吸収されることには決して同意しないだろうと、一人の韓国人参加者は意見を述べた。 北朝鮮には強いプライドがあるためだ。また、ドイツ人訪問団員の一人は、東ドイツの政治機構に何が起こったかを北朝鮮政府はよく認識していると指摘した。政府高官は裁判にかけられ、実質的にすべての者が職を失った。北朝鮮のリーダーたちがあえて同じ道を歩みたがっているとは思えない。「北朝鮮のリーダーたちの統一後の役割が描かれなければならない」とドイツ人訪問団員は続けた。「さもなければ、政府リーダーたちは統一に抵抗するだろう」

 ドイツ人が懸念を持ったもう一つの問題は統一にかかる負担である。ドイツのシュミット首相が初めて統一を口にしたとき、彼はそれがドイツ人ひとりあたりに与える負担について現実より少なく示したのである。人々が本当の負担に気付いたのは、もはや後戻りができない段階にきた後のことであった。ドイツ訪問団員は、失望と怒りを避けるためには、韓国・北朝鮮の人々が、朝鮮半島統一に付随する社会的な負担と同時に経済的な負担もふくめてすべての負担に正直であるべきだと提言した。

人権

 朝鮮半島では人権問題はいまも大変デリケートな問題である。北朝鮮では国内の人権問題に関する介入には総じて抵抗してきた。国際援助団体のいくつかは活動やアクセスの制限に抗議して撤退している。北朝鮮における人権の正確な状況をつかむのは極めて困難だといえる。

 一方、韓国では、政治団体のいくつかが金大中政権が北朝鮮の人権問題に十分な圧力をかけていないと反発している。 韓国の対北朝鮮政策は二つの基本的な考えに基づいている。それは、複雑でない問題から対処する、そして経済と政治を分けるという考えだ。これらの原則は、ある点では1970年代、80年代の西ドイツの「東方政策」(Ostpolitik)に倣っている。「東方政策」の「ソフトな」路線によれば、強制するよりも協調する方が目標達成がもたらされることになる。

 ドイツのケースから得られた重要な教訓の一つは、統一というものが等しく双方に変化と適応をもたらすということである。 そうであれば、韓国がすでに人権問題においてその政策を変え始めていることは注目すべきことだ。金大中政権は国家保安法の最近の違反者や長期政治囚を釈放している。政府は、国家保安法の改定さえ考えている。もちろん人権運動家のなかにはこの法律の完全撤廃を求めている人もいるが。

 ノーベル平和賞を受賞し、金大中大統領は今後、二つの大きな仕事を達成する上でのプレッシャーと吟味にさらされることになる。一つは韓国の人権状況を最も高い国際的基準に合ったものにすること、そしてもう一つは朝鮮半島の平和的な統一を確かなものにすることだ。もし彼が公平な統一を目指して交渉をすすめ、一般の韓国人に与える負担に正直であるならば、ドイツの指導者がこの10年間におかした大きな誤りは回避することができるだろう。

(この文章は筆者の原文をヒューライツ大阪編集部で翻訳し、一部タイトルと見出しを追加したものです)