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国際人権ひろば No.128(2016年07月発行号)

アジア・太平洋の窓

東ティモールの女性たちのいま -トラウマからの回復に向かって

亀山 恵理子(かめやま えりこ)
奈良県立大学教員/大阪東ティモール協会

 

 独立から14年経った東ティモールでは、インフラ整備など目に見える復興がすすむ一方で、いくつかの課題も存在する。そのうちの一つは心理的な問題であり、戦乱や紛争の影響で生じた心の傷をどのように癒していくのかということである。ここでは、インドネシア占領期における女性の苦難の経験とトラウマからの回復にかかわる動きを述べていきたい。

 

 東ティモールの歴史

 オーストラリアの北に位置する小さな国東ティモールは、2002年に正式に独立した新しい国である。長年ポルトガルの植民地だったが、第二次世界大戦では日本軍による占領を経験し、その後再びポルトガルの植民地支配下におかれた。1974年にポルトガルで政変が起こったのを契機に独立への機運が高まり、1975年11月には即時独立を求める政党フレテリンが独立宣言を行った。だが、間もなくして隣国インドネシアが侵攻し、以来東ティモールはインドネシアの実効支配下におかれた。

 24年間におよんだインドネシア時代には、東ティモールの人びとはさまざまな苦難を経験した。戦争、飢餓、身体的暴力により命を失った人も多い。インドネシアの侵攻から数年間は戦争状態となり、人口約60万人のうち10万人以上の人が亡くなったと言われている。その後も山では東ティモール民族解放軍(ファリンティル)がインドネシア軍への抵抗を続け、1980年代にはそれを支える地下活動の網の目が住民の間に広がっていった。インドネシア軍は当局に対する抵抗運動には暴力を伴う弾圧を加え、暴力の対象には一般住民も含まれていた。

 1999年には独立の是非を問う住民投票が行われたが、インドネシア軍と軍が組織した民兵組織による焦土作戦で東ティモールは文字どおり焦土と化した。だが、その後東ティモールの復興はすすみ、とくに首都ディリでは新しく建てられた役所の建物や道路に溢れかえる乗用車が目をひく。また近年は、インドネシア支配期に暴力により命を失った人びとの追悼行事が行われるようになり、独立闘争に関する歴史的な建造物も建てられ始めている。

 

 インドネシア時代における女性の経験

 養護施設に預けている子どもに会いに来た一人の女性フランシスカさんに出会った。東ティモールではカトリック教会が運営する養護施設が各地にある。そこでは親を失った子どもだけではなく、経済的な理由で家族から十分な養育を受けられない子どもたちが生活している。フランシスカさんはディリに母親と二人で暮らしており、乗り合いバスでディリから1時間ほどのところにある養護施設に6歳の息子を預けていた。

 フランシスカさんの夫は、1999年に行方不明になっていた。当時、夫はディリにある東ティモール大学の学生だったが、奉仕活動実習のため他の仲間とともに故郷に帰っていた。ある日、夫を含む数名の大学生が民兵組織に暴行され連れて行かれたと仲間が伝えにきた。その時以来夫は家に戻っていない。フランシスカさんは生活のためにディリの町に出てきて、午前2時に農作物を積んだトラックが地方から集まる中央市場で野菜を仕入れ、早朝から別の市場で売ることで生計を立てていた。夫が帰らず、「どうなったのかわからない」という事実を、当時のフランシスカさんは涙を流しながら受け止めようとしていた。

 身近な人を失うほかに、女性たちの中には直接的な暴力を被った人がいる。たとえば、ファリンティルへ食料や薬を届け、情報伝達を手伝うなど地下活動への関与を疑われた結果、軍に拘束され、性的暴力を含む拷問を受けた人がいる。また、インドネシア軍人の「現地妻」とされた経験をもつ人もいる。ビケケ県に暮らすベアトリスさんは、インドネシア時代に3人のインドネシア軍人の「妻」として暮らし、父親の異なる3人の子どもを出産し、育てた。軍人と生活をともにしたのは自ら望んだことではなく、強制的に、そして村の人から請われてのことだった。もし拒めば地域の住民が報復を受ける、だから軍人の意向に従ってほしいとベアトリスさんは言われたという。

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自宅で客に出す料理を作り終えた女性。インドネシア時代には、抵抗運動に身を投じていた夫が拷問を受け、政治囚として投獄された。

 

 心の傷と癒しの活動

 苦難を経験した女性たちの中には、それぞれの経験によって心に傷を負った人も少なくはない。傷の痛みの存在を感じている人もいれば、身体の奥深いところに痛みを抱えていたり、あるいは痛みをどこかに解離させたりして生きてきた人もいるだろう。心の傷、すなわちトラウマは、目に見えず、言葉にもなりにくいものである。

 東ティモールでは、そのようなトラウマを抱えた人に寄り添い、心理的なサポートを行う活動が行われている。1997年に設立された女性の人権NGOである東ティモール女性連絡協議会のスタッフの中には、インドネシア時代にインドネシア軍から性的暴力を含む拷問を受けた経験をもつ女性がいる。同じような経験をした女性が被害に遭った女性の話に耳を傾けて、寄り添っている。またディリ市内でシェルターを運営するなど、暴力の被害にあった女性を保護する活動を今日まで継続している。ほかにも、東ティモールではカトリックの修道会が人びとの生活にかかわるさまざまな支援を行っている。修道会のシスターの中には、暴力の被害にあった女性のもとを定期的に訪れ、関心を示し続け、女性たちを支えている人がいる。

 これらのほかに個人の活動としては、臨床心理学を専門とする研究者が、上で触れた東ティモールのNGOや修道会のメンバーなどを対象に、具体的な心理的サポートの方法を学ぶワークショップを毎年継続的に開いている。そこで取り上げられるのは、砂箱の中にミニチュア玩具の中から自由に選んだ素材を用いて「庭」をつくるものであり、箱庭療法と呼ばれる自己表現活動である。言葉にならない自らの痛みを、箱庭をつくることで表出させ、表現していくものである。

 

 女性の経験を描く映画

 直接的な心理的サポートではないものの、苦難を経験した女性の心に影響をもつと思われることを最後にひとつ挙げたい。それは映像作品(映画)の制作と上映である。東ティモールでは2013年に女性の経験を描く映画が生まれた。『ベアトリスの戦争』という作品である。首都ディリの映画館だけではなく地方では野外上映会も開かれており、国境の町マリアナでの上映会には4,000人が集まったという。作品はDVDとして東ティモールの書店などで販売されているが、映像ファイルは人の手から手へと広まっており、実に多くの人が作品を観ているようである。

 『ベアトリスの戦争』は東ティモール制作初の長編映画である。インドネシアの侵攻から独立までの二十数年間を、主人公のベアトリスがいかに傷つき、いかに闘い、そしていかに生きたのかを描いている。脚本は実話をもとに発展させた内容となっており、物語の中では1983年にビケケ県のクララスで起こったインドネシア軍による住民虐殺事件も取り上げられている。主人公の夫は虐殺を逃れたものの、その後行方不明になる。ベアトリスは自分の夫は生きていると信じて生き続ける。そしてインドネシア軍が撤退した後、つまり東ティモールに平和が訪れたとき、夫だと名乗る男性が村に戻ってくるが、ベアトリスはその人物にどこか違和感を感じるという内容である。作品には、性的暴力、拷問、殺害、家族との離散などインドネシア時代に女性が経験した暴力が盛り込まれているが、同時に、インドネシア軍の影響から逃れられない村の生活の中で軍人と家庭をもつなど、制限された状況下で意志をもって行きぬく女性の姿を見ることができる。

 

 以上、インドネシア時代における東ティモールの女性の経験とトラウマからの回復に関する動きをみてきた。その人自身が傷に向き合い、表出させることが、心の傷を癒すには必要な過程である。だがそれだけではなく、ある人の経験に社会がどのように向き合い、受け止めるか、つまり社会のまなざしも心の癒しには求められるように思う。

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首都ディリにあるコーヒーカフェにやってきた女性。スマートフォンを眺める2人は「インドネシア時代を知らない」世代である。


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