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国際人権ひろば No.128(2016年07月発行号)

特集 チェルノブイリから30年、福島から5年

福島第一原発事故から5年 -放射線被ばくから免れ健康を享受する権利の確立を求めて

森松 明希子(もりまつ あきこ)
原発賠償関西訴訟原告団代表・東日本大震災避難者の会Thanks&Dream代表

 母子避難

 私は震災から2カ月後の5月、大型連休をきっかけに、福島県の郡山市から避難をすることにしました。現在、子どもたち2人と大阪市に避難をしています。いわゆる母子避難です。夫は、今も福島県郡山市の同じ職場で働き避難生活を支えています。

 0歳で大阪に連れてきた私の娘は、5歳になりました。娘は0歳の時から父親と一緒に暮らすという生活を知りません。3歳の時に避難した上の息子は、今も福島県民でありながら、大阪の小学校に入学して、現在は小学校3年生です。絵を描かせると、いつも大好きな父親と会えることを夢見て東北新幹線の絵を描いて子どもなりに寂しさを乗り越えています。子どもたちの父親である私の夫にとっては、そんな子どもたちの日々の成長をそばで見ることができない5年間でした。

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筆者と子どもたち

 

 「逃げる」ことの難しさ

 多くの人たちが、身の危険に直面したら逃げるのが当然で、逃げることは簡単にできると思い込んでいます。でも、3.11後に起きた東京電力福島第一原発事故を経験して、そんなあたりまえのことができない社会的状況があることを、私は身をもって知りました。そして、すべての国民が現在進行形でそれを目撃していると思うのです。

 火事が起きれば、熱いから、人は逃げ出します。地震で家が壊れれば、崩れて下敷きにならないようにその場から離れます。津波が海の向こうから見えれば、人は波にさらわれないように高台に走って逃げます。

 ですが、原子力災害はこれらの自然災害とは異なり、明らかに「人災」です。そして漏れ出るものは「放射能」。放射能は、色もない、ニオイもない、それが低線量であれば五感で感じることはできません。

 原子力を国策としてすすめた国と、原子力産業により莫大な利益を得る東京電力には、放射線を管理する責任があります。そして、管理できない状態になればすみやかにそれを知らせ、状況を隠蔽せずにつぶさに公表し、汚染状況を詳細に周知徹底し、危険については警鐘を鳴らし、適切な避難の指示・勧告を行うなど、制度と保障を行わなければ、一般の人々が逃げることは容易ではないのです。

 

 5年後の福島の窮状

 私も含めてですが、福島事故から5年が経過した現在も避難を続ける人たちは、苦境に立たされています。それは、避難した人たちだけでなく、避難していない人もです。あまりにも当たり前過ぎて、憲法の人権カタログに記載する必要もないと思われていたことも、現実に原子力災害という人災と、その経済的利害関係がからむ社会構造の中で、そのあまりに「当たり前の権利」が踏みにじられていることに気づいたわけなのです。

 福島第一原発事故により関西に避難してきた被災者のうち、240名(87世帯)は、2016年3月までに、国及び東京電力に対して、損害賠償請求訴訟を大阪地方裁判所に提訴しました。

 「ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来」をキャッチフレーズに、福島第1原発事故によって被災したすべての人たちが、事故前の「ふつうの暮らし」を取り戻すために、国及び東京電力の「責任」を明らかにし、「個人の尊厳」を回復するため裁判所に訴え出ました。

 福島事故は、5年が経過した現時点においても、収束の目途すら立たず、政府が把握している数だけでも福島県からの避難者はおよそ10万人、福島県以外からの避難者も加えれば、さらに多くの人たちが放射線被ばくから避難することを余儀なくされています。

 また放射能汚染地域に滞在する人達は、日々放射線被ばくによる健康被害のリスクと向き合う生活を強いられています。

 とりわけ、放射線に対して脆弱な子どもたちは、被災地においては、従前のような自然と触れあいながらの生活を奪われ、外で遊ぶことも制限されるなど、被ばくを意識しながらの行動を強制されます。また、避難に伴っては、多感な時期に、多くの友人や恩師、母子避難では父親との離別を強いられています。

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原発賠償関西訴訟原告団による裁判所前行進(2015年8月)

 

 放射線被ばくから免れ健康を享受する権利

 日本国憲法は、すべての国民が「恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」を有することを確認し、個人の尊厳を基本理念として、幸福追求権、生存権をはじめとする人権を保障し、国はこれを実現する責務を負っています。

 放射線被ばくから免れる権利があることは当然、放射線被ばくの「恐怖」から免れることもまた、人が健康で生きるための基本的人権にほかなりません。

 2012年6月、子ども被災者支援法が成立しました。そうであるにもかかわらず、事故から5年近くが経過した現時点においても、この法律の理念に基づき被災者一人一人の基本的人権が尊重されることなく、何ら具体的に救済の手立てが講じられていません。

 また、被災者の意見が十分に反映されることなく、特に、長期にわたる避難を選択した者に対しての具体的救済の制度は何一つ確立されていません。

 何度でも繰り返しますが、放射線被ばくから免れ健康を享受する権利は、誰にでも等しく与えられるべき基本的人権です。特に、人の命や健康に直接かかわる最も大切な権利です。避難の選択は、命を守るための人としての原則的行為であると私は考えます。

 人の命や健康よりも大切で守られなければならないものはあるのでしょうか?

 経済活動を支えるのも「人」です。復興に携わるのも「人」です。原子力の事故の収束にあたるのも「人」です。それらの「人」は、生きてこそ、健康であってこそ、そして命を繋いでこそ、それらのことに携わることができるのです。

 

 「避難の権利」の意義と「国連グローバー勧告」

 私の主張する「避難の権利」は、すでに避難をした人たちの正当性だけを求める権利ではありません。今、避難すべき状況にある人、そして将来起こるであろう災害において、すべての人に保障されるべき権利です。ひとたび、原子力災害を経験した私たちは、何が最も大切にされなければならないか、それを考えて行動を起こし、具体的に進んで行くのが、次の世代にバトンを渡す大人の責任だと私は考えます。

 また、避難の権利は、人が命の危険に直面した時に、自分の身を守るために、そこから退避することは当然の権利であり、憲法および国際人権法で保障されている基本的人権です。

 日本政府は、「国連グローバー勧告」(注)の受け入れを拒否し、部分的削除を要求しています。グローバー勧告の重要な点は、公衆の被ばく線量限度を年間1ミリシーベルト以下とするという明確な基準を示した上で、最も影響をうけやすい人に配慮し、健康被害を防止するための最大限の施策を求める抜本的な政策転換を求めた点にあります。

 このような日本政府の反応は国際社会から見ても大変恥ずべき態度であると思います。また、日本政府がどのような反応をしようとも、勧告としての効力にはなんの影響もありません。グローバー勧告は、決して「過去の文書」ではなく、むしろ政府による否定的な反応によって「健康に関する権利」の侵害がなおいっそう明白となり、グローバー勧告が引き続き大きな意味をもつことになるのです。

 また、グローバー勧告は、単に日本政府にだけ向けられたものではなく、地方公共団体と市民社会への問いかけとしての性格をもっています。だからこそ、日本の市民社会がグローバー勧告に関心をもち、その示唆するところを知ることが大切だと思います。

 

 『ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来』をキャッチフレーズに

 普通に暮らしていた普通の人たちが、裁判を起こしてまで「避難の権利」の確立を訴えなければばらない現実が今ここにあるのです。危険を感じたら逃げるのが当たり前だと私は思うのです。どうして、命を守るという原則的な行為が、裁判所にまで訴えて、権利の確立を求めなければならないのか、このことに私は現状のおかしさを感じています。

 私たちは、裁判を通してだけでなく、できうる限りの方法で、放射線被ばくからの「避難の権利」を確立し、避難した人も、残った人も、また帰還した人も、皆同じように、被ばくから自身の健康を守り、福島事故前の「ふつうの暮らし」を取り戻し、「個人の尊厳」が回復される必要かつ十分な支援策が実施されることを、裁判所と社会に訴えかけたいと思います。

 

 

注:「国連グローバー勧告」については、次ページ以降の徳永恵美香(ヒューライツ大阪)の本文参照。


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