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国際人権ひろば No.123(2015年09月発行号)

特集 今こそ、平和と人権を考える

なぜ沖縄人は自己決定権を行使できないのか?

大城 尚子(おおしろ しょうこ)
沖縄国際大学非常勤講師

 沖縄と自己決定権

 

 2015年6月3日付の『琉球新報』に沖縄の自己決定権1の拡大に関する世論調査結果が掲載された。本調査は、琉球新報社と沖縄テレビ放送が戦後70年の「慰霊の日」を前に5月30、31日の両日、電話による世論調査を実施したものである。その調査結果では、自己決定権を「大いに広げていくべきだ」と回答した人々が41.8%、「ある程度広げていくべきだ」が46.0%、「広げる必要はあまりない」6.8%、「広げる必要はまったくない」2.4%、「分からない」3.0%という結果となり、実に87%の人々が自己決定権の拡大を求めているのだ。

 なぜ今沖縄では自己決定権の行使が求められているのか。それは、政府が沖縄の民意を蔑(ないがし)ろにしており、沖縄人の間に沖縄が自己決定権を行使できない状況にあるという認識が広がったからである。2014年1月以降の沖縄の選挙(名護市長選、名護市議選、県知事選、衆院選)において、名護市議会議員選挙を除き辺野古移設反対をマニフェストに掲げた候補者が当選し、圧倒的民意が新基地建設を望んでいないという意思を示した。それにもかかわらず日本政府は「粛々」と辺野古埋め立てを行うとし、沖縄の民意を否定し続けているからである。しかし、沖縄人の民意が否定されたのは今回が初めてではなく、その起源は琉球併合時にまで遡り、継続しているということは周知の事実である2。本稿では紙面に限りがあるためその詳細は割愛するが、大まかな流れは次の通りである。

 まず、琉球併合は琉球国との対話が持たれないまま明治政府が一方的に行い、その後、琉球人に対する日本人の差別が顕著となった。その差別は住民を巻き込んだ沖縄戦に体現され、多くの人々が日本本土の国防の名目の下、その命を奪われた。さらに「天皇メッセージ」および日米両政府の政策によって、両政府は沖縄との対話もないまま27年間も沖縄を米軍統治下に置いた。加えて1972年の「本土復帰」でも沖縄の民意は反映されなかった。日本「復帰」後は、1996年の沖縄に関する特別行動委員会の最終報告、大田昌秀県知事(当時)の代理署名拒否裁判での敗訴、2012年のオスプレイ配備などに代表されるように、沖縄の自己決定権は行使できない状況に置かれている。こうした事実は沖縄差別以外のなにものでもない。では、現在も続く沖縄差別とはどういうものなのか、以下に考察してみる。

 

 差別に基づく在日米軍基地の沖縄への「隔離」

 

 隔離と差別はコインの裏表のような関係であることは、ハンセン病患者などの事例から明らかだ。この関係は、在日米軍基地の約74%が置かれている沖縄にも当てはまるのではないだろうか。日本の戦争を知らない世代の多くが、沖縄に軍事基地がなかった時代を知らない。日本本土では、沖縄に米軍基地が存在するのは日本が第二次世界大戦に敗れ、地政学的に重要な場所に沖縄が位置しているからという認識がある。他方、沖縄、特に米軍基地の存在が「日常的」にある世代の中には、いわゆる「普通」の生活=米軍機が空を飛び、米軍基地関係の事件が発生する日々が「当然」となり、米軍基地が沖縄にとって「利益」となると考える人々もでてきた。これは、ハンセン病患者がハンセン病にかかり、その見た目などの理由から周りに差別され、そして施設に隔離されたことが「普通」の生活となり、それ以降、ハンセン病患者は故郷や外部社会との繋がりを絶たれ、多くの患者は自身の家族から引き離されたことで強制的に「新たな」人生を歩まなければならなかったことに似ている。

 また、このような「隔離」政策は、隔離する側にとって差別と暴力の存在を不可視化することに効果的なものとも言える。ハンセン病患者の隔離は、その病が他に伝染しないようにという名目で行われた。しかし、その隔離には患者以外の人びとがハンセン病患者に対して行う差別という暴力行為を自分たちの目の前から自ら消し去ることに繋がっている。沖縄の米軍基地は、「天皇メッセージ」において25年から50年間沖縄を米軍統治下に置くことが提案され、1950年代初頭に沖縄に米軍基地が建設された。その後1956年に岐阜や山梨から米海兵隊が沖縄に移転したことで沖縄に米軍基地が集中した。この事実をハンセン病患者の隔離問題から考えた場合、日本本土から暴力装置である米軍基地を沖縄に移設し、自分たちではなく沖縄人を暴力の危険に晒していることは、自らも米軍基地を使い沖縄に押しつける行為である。そしてそれは沖縄が軍事的にも国防的にも「地理的条件がいい」地域として説明し、以前から差別してきた沖縄人をコミュニティごと米軍基地と一緒に「隔離」しているのである。そして、日本人の暴力性を不可視化させる機能を維持しているのだ。また、同時にそれは、当該人である沖縄人に対して、沖縄の民意は儚(はかな)くも日米両政府の前では太刀打ちできない状況にあるのだと多くの人に思わせるような機能として役立っていた。

 しかし2009年に誕生した鳩山政権が選挙前に沖縄の負担軽減のために「県外移設」を明示しており、仲井眞弘多県知事(当時)も民主党政権と同様の方針に転換したことで、沖縄への米軍基地押しつけの状況に変化が生まれた。その後「県外移設」においてどの県も米軍基地を受け入れなかったことで、普天間基地「県内移設」を拒否していた沖縄が再び移設先となり、この計画が頓挫し、日本人の沖縄に対する暴力性が顕在化したのである。多くの差別問題からも明らかなように、権力側からの暴力の行使は、ある時期を境に転機を迎える。沖縄への米軍基地問題もようやくその局面を迎える時期がきている。

 内閣府が2015年3月に発表した『 自衛隊・防衛問題に関する世論調査』の中に「日本の防衛の在り方に関する意識」という調査結果では、日米安保条約が日本の防衛に役立っていると回答した人が82.9%もいることが明らかになった。多くの国民が日米安全保障政策を支持するのであれば、日本全体で米軍基地を均等に負担すべきである。この考えは日本全体を米軍基地として使用させるという安易な考えからきているわけではない。沖縄は約70年もの間、沖縄を含む日本からの米軍基地の撤退を訴えてきたが、現状は一向に改善されない。それならば、一度米軍基地を撤退させることに成功した日本本土に持ち帰ることで、米軍基地の撤退に繋がる行動を日本中で起こそうという考えからきている。事実、沖縄に対する日本人の暴力を終わらせる動きとして「基地引き取り」運動3が始まっている。この運動が日本全体に広がり呼応していくことは、日本人の沖縄差別を解消することはもちろん、沖縄人が自己決定権を行使可能な状態にすることに繋がるのである。

大城さん写真.jpg

シュワブ・フェスト2015(シュワブ米軍キャンプのフェスティバル)



1:本稿で使用する自己決定権は民族自決権と同じ意味を持つ。日本では国際法における自己決定権とは、個人の権利を指すと解釈されており、自決権あるいは民族自決権と一般的に区別されている。しかし、沖縄では自決権の「自決」が「集団自決」を想起させる言葉となることから自決権ではなく、自己決定権を使用している(2015年4月1日、浦添市ベッテルハイムホールで開催された「琉球弧の自己決定権を考えるシンポジウム」における新垣毅氏の発言より)。以上のことから本項では断りが無い限り、自己決定権という言葉を集団の権利を指す言葉として使用する。

2:琉球併合の過程における明治政府による琉球国の外交権剥奪、ならびにそれが国際法に抵触するという問題提起に関しては、上村英明『先住民族「近代史」』(平凡社、2001年)、日本の植民地主義の継続に関しては野村浩也『無意識の植民地主義』(御茶の水書房、2005年)および知念ウシ『ウシがゆく』(沖縄タイムス社、2010年)を参照されたい。

3:在沖米軍基地の一部を他の都道府県が引き取ることを求める運動。大阪では「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」という運動が始まっている。

 

参考文献:廣川和花「ハンセン病の歴史と近代大阪」木戸衛一編『平和研究入門』大阪大学出版会、2014年、126‐139頁。


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