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国際人権ひろば No.122(2015年07月発行号)

特集 国連人権教育世界プログラムと日本の課題

日本におけるメディアと人権の課題

脇阪 紀行(わきさか のりゆき)
大阪大学大学院特任教授、元朝日新聞記者

 当然のことだが、人権を侵害してやろうと考えてメディアの世界で働く人なんて、一人もいない。なのに、社会から差別は消えず、報道による人権侵害も後を絶たない。近年は、ネットメディアによる発信が増える一方、既存メディア、とくに新聞への信頼感が低迷している。
 背景にはメディアの構造的な問題や、報道人の意識、政治環境の変化などが複雑に絡まっているのだろう。
 メディアは被差別部落出身者や在日コリアンに対する差別、障害者差別、冤罪などさまざまな人権侵害を取り上げてきたが、近年は、ヘイトスピーチ、性的少数者(LGBT)や非正規労働者など新たな課題が浮かび上がっている。本稿では、近年、話題になった事例を取り上げながら考えたい。
 

 ヘイトスピーチへのメディアの対応

 
 在日コリアンに狙いを定めて、「死ね、殺すぞ」と罵声を浴びせかける右翼系団体の活動が、関西を舞台に多くの事件に発展したのは記憶に新しい。過激な言動を撮った動画が拡散し、ネット右翼(ネトウヨ)が憎悪をあおった。
 既存メディアの報道は、在特会などによる反韓デモが東京・新大久保で過激化した2013年春から本格化したが、ネット空間ではその前から賛否の応酬が起きていた。既存メディアは、団体の活動を取り上げれば彼らの宣伝になってしまいかねない、というジレンマから当初、京都の朝鮮学校などに押しかける在特会の動きなどを、人種差別や排外主義として正面から取り上げなかった。差別感情をあおるとして、過激な差別用語をわざとテレビ画面に映らないようにして報じたテレビ局もあった。ヘイトスピーチの規制が国会や大阪市で盛り上がってきたとはいえ、振り返ってみて、「『臭いもの』を忌避し、見て見ぬ振りをする間に彼らは活動を過激化させ(略)社会の公正さは損なわれていた」との自省の弁がメディア界から出ているのは当然のことだろう1
 

 性的少数者やジェンダー問題の報道

 
 最近関心が高まっているのが、性的少数者(LGBT)の問題だ。体の性と心の性が一致しない性同一性障害に悩む当事者の姿や同性愛者の声が新聞やコミックスで紹介され、ついに東京都渋谷区では同性婚カップルを支援する証明書を発行する条例ができるまでになった。新聞記事のデータベースを見れば、地方版に驚くほど関係記事が多いのは、若い世代の関心の強さをうかがわせる。
 ただ、より広く、男女の役割の見直しや女性の地位向上にまで視野を広げると、メディアの取り組みが十分とはいい難い。
 女性の置かれた状況を切り取った記事として、例えば「単身女性の3割強が貧困」「高学歴女性の3割就労せず」といった記事がある。記事を書いた女性記者は「ニュースにならないかもしれない」と思いながら出稿したら、ツィートなどで大きな反響があった。記者は「メディアがニュースだと考えていないことが、一般の人にとっては大きなニュースという場合がある」ことに気がついたという。新聞社やテレビ局で働く人々自身が、男女の役割については旧来の意識に凝り固まっていることをうかがわせる話だ。
 メディアに期待されているのはセンセーショナルな報道ではなく、暮らしや生活の場で「私たちが日常的に感じている不条理や怒りを共有する」ことだとの彼女の感覚こそが、これからのメディアに大切なのだろう2
 

 信頼感をどう取り戻すか

 
 メディア、とくに新聞への信頼度が急落したことが各種世論調査に示されている。朝日新聞の慰安婦報道、東京電力福島第一原発事故をめぐる吉田調書報道などをめぐる混乱がその背景にあることは言うまでもない。
 メディア全体の信頼回復のために各社が取り組んでいるのが記者教育と研修の強化である。
 日本新聞協会の月刊誌「新聞研究」の特集によると、中日新聞(本社・名古屋)は2014年春から、入社3年目の記者を対象に研修会を始めた。大事なのは、先輩記者が後輩記者に直接語ることと考え、警察取材での経験や原稿を書く際の注意点を社会部長やデスクが加わって話し合う。西日本新聞(本社・福岡)でも、若手・中堅クラスを対象にした研修を拡充し、取材倫理や記者力の向上を図っている。
 全国紙でも、毎日新聞が社内研修を強化し、若手記者を対象に「表現は的確か」「見出しは何か」を話し合い、実際の紙面に違和感を持ったとき、上司への直言など取るべき行動を考えさせたいという。読売新聞も2013年春に発足させた「記者塾」を強化しつつある3。日本記者クラブの記者研修や朝日新聞のジャーナリスト学校との連携も期待されるところだ。
 しかし、ただ記者教育や研修を増やしたからといって、人権向上にすぐ結びつくわけではない。被差別部落出身者や在日コリアンをはじめとするマイノリティへの差別問題の取材が一部の関心ある記者に偏る傾向が見える。各記者の自己研鑽と、社会全体でのジャーナリズム精神の理解と定着を欠いてはならない。
 

 後藤健二さんの殺害事件

 
 その点で最後に、シリアの紛争地を取材中にIS(イスラム国)に捕えられ、2015年1月に殺害されたフリージャナーリストの後藤健二さんのことに触れておきたい。48歳の若さでなくなった後藤さんはアフリカや中東の紛争地に入り、とくに子どもを取材した記録が多い。しかしここでは、その取材内容よりも、後藤さん殺害前後に表れた国内での反応に焦点をあてたい。
 まずは、事件後、政治の場では、「テロの罪を許さない」との掛け声の下、テロ対策や邦人の安全対策の議論一色になってしまったことだ。
 これに対して、NHKの朝の情報番組「あさイチ」の出演者である柳澤秀夫解説委員が「テロ対策とか(中略)いま、声高に論議され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことは、後藤健二さんが何を一番伝えようとしていたのか、ということ。戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人たちが、そこに巻き込まれてつらい思いをするということを、彼は一生懸命伝えようとしていたんじゃないか」。
 自民党幹部は、後藤さんの行動を「蛮勇」と評し、外務省はシリア行きを計画していたフリーカメラマンの旅券を返納させた。これに対してもフジテレビのニュース番組コメンテーターの木村太郎氏が「危険なところはニュースがあるところ、行かなきゃ伝えられない。それが人の知る権利に応えることなんです。蛮勇がなきゃできないんです」と反論したという。ともに全うな反論である。
 ただ実際には、紛争地で人質になったジャーナリストに向けてよく投げかけられるのが、自己責任論である。「危険地に赴いた判断の結果責任は自ら負わなければならない」という理屈である。リスクを避けようとの心理は実は、メディアの世界にも浸透していて、事故直後の福島第一原発周辺での放射能汚染を恐れて、大手メディアの記者の姿がしばらく消えたように、ジャーナリストが危険な地に入ることにメディア企業自身が及び腰になりがちだ。
 

 メディアと権力との距離

 
 2005年から始まった国連の「人権教育世界プログラム」の第3段階として、2015年から5年間、メディア従事者に焦点をあてた人権教育の推進が図られる。ただ、2014年9月の人権理事会で採択された行動計画4で見逃せないのは、ジャーナリストの教育研修の果すべき役割とともに、情報へのアクセス、表現の自由、取材者の安全がそれぞれ確保されていることが重要だと指摘していることだ。
 安全保障法制の大転換を前に2014年末にできた特定秘密保護法。また、選挙前に自民党が「報道の中立」を守るよう主要放送局に要請文をおくりつけたこと。こうした圧力に屈してしまえば、権力の監視役であるはずのメディアが逆に萎縮してしまい、人権の保護、向上はおぼつかない。その歴史的教訓を改めてかみしめる時だろう。
 
 
1:Journalism、2013年11月、朝日新聞社、石橋英昭「『臭いもの』を忌避している間に社会の公正さは失われていった」
2:同上,2014年12月、朝日新聞社、杉原里美「上から論評するジャーナリズムではなく、日常の不条理や怒りを共有する報道を」
3:新聞研究、2015年2月、特集「新聞不信にどう取り組むか」
4:5ページの注2を参照(編集部)