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国際人権ひろば No.118(2014年11月発行号)

人権さまざま

和解

白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長

世界人権宣言
第1条
.....人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

捕虜の待遇に関するジュネーブ条約(1949年)
第13条
捕虜は常に人道的に待遇しなければならない。.....

俘虜の待遇に関する条約(1929年)
第3条
俘虜は其の人格及名誉を尊重せらるべき権利を有す.....

 
 徹底した人種隔離制度(アパルトヘイト)をしいていた南アフリカで、アフリカ民族会議(ANC)のメンバーとして反アパルトヘイト運動に身を投じ、27年間国家反逆罪で投獄されたネルソン・マンデラ。1994年に初めての全人種参加の選挙で大統領に選ばれたとき、多くの白人は、ANCをはじめ、それまで差別され、抑圧され、不当に扱われた人たちからの報復を恐れた。
 
 1948年以来のアパルトヘイト。南アフリカでは、黒人をはじめとする非白人に対する差別が市民生活のあらゆる分野に及んだ。人種差別は合法であり、抵抗運動は躊躇なく弾圧された。当然ながら多くの深刻な人権侵害があり、犠牲者が出た。
 
 マンデラ大統領は就任に際して、過去を乗り越えて新たな国の建設に全ての国民が参加することを促した。同時に、過去の人権侵害事件についての真相を明らかにし、そのうえで和解することを求めた。報復は、更なる報復を呼び、国を分裂に導く。その悪循環を断ち切り平和を築くために、国民の勇気ある行動を訴えた。こうしてできたのが「真実和解委員会」である。
 
 ここでも理想と現実の隔たりがあったと言われる。深刻な弾圧、殺人、拷問に加わった人びとの公聴会での陳述は、真実を曲げ、自己弁護にすぎないものがあり、誠実な改悛に基いていないものもあったとされる。また、深刻な人権侵害に関わった者を赦免することに対して、犯罪を不問に付すものとして異論が唱えられることもあった。和解の難しさはあきらかであった。
 
 しかし、長年武力紛争を経てきた多くの国で、負の連鎖を止め、平和をもたらすために、この「真実和解委員会」がモデルになったのも事実である。ネルソン・マンデラは、国民の間の深刻な亀裂を乗り越え、和解による平和の実現そして国の新たな出発を可能にしたことで、偉大な指導者として後世に名を残すことになった。
 
 ある和解の話。「レイルウェイ 運命の旅路」という映画を見た。第二次世界大戦中、シンガポール陥落で日本軍の捕虜となり、泰緬(たいめん)鉄道建設で酷使され、拷問、栄養失調などに耐え、かろうじて生き残ったものの、ひどいトラウマに苦しみ、日本人旅行者を見ただけで拒絶反応をし続ける元イギリス軍通信将校。偶然、拷問を手助けした日本軍の通訳が戦後、犠牲者の鎮魂のために現地に記念館を建てたという新聞記事を目にする。激しい憎しみを抱きながら、かつての捕虜収容所跡でその元通訳と再会する。元通訳は、身体を震わせ、涙を流しながら、許しを乞う。やがて二人は、和解する。元イギリス軍将校を苛(さいな)んできた憎しみの代わりに訪れた安らぎ。これは出版された捕虜体験記録を元に出来た映画である。
 
 さらにもう一つの和解。シンガポールの元捕虜の話をスイス在住の日本人ビジネスマン、青砥玄さんに伺った。学生時代にイギリスでボランティアをしたときの経験談である。ある町で、家々を訪ねて手伝いをしていた。ある家で出てきた好意的な老人が、この若者が日本から来たと聞いた途端に、「出て行け、二度と来るな」と興奮して叫んだという。このことが気になって、近所の家で手伝いをしながら尋ねたところ、その老人は、戦争中シンガポールで日本軍の捕虜としてひどい扱いを受け、それ以来日本人を嫌っているとのこと。当時まだ若者であった青砥さんは、「人生は出会いの連続で一つ一つの出会いに意味がある。今、私があの人に引き合わされたことにも、何か意味があるに違いない。ここで逃げ出さず、誠心誠意を尽くそう。少しでも日本人の印象が変わることになれば良いな」と考えたという。勇気を出して再びこの老人を訪ね、「父の世代の不祥事を詫び」、なにか手伝うことはないかと聞くと、彼の再度の訪問に驚いた老人は、この若者を家の中に入れ、シンガポールの強制収容所の辛かった3年半のことを話した。苛酷な労働、戦友の死、暴力と辱めの日々そして栄養失調。若者は、この話に涙を抑えることができなかったという。それから毎日のように、この老人を訪ねて手伝いをしたそうである。「私の流す汗が、この人の恨みを解くことになれば」と願いながら。数ヵ月後、その町を離れる若者に、老人が言ったという。「私は終戦によって日本軍から身体は解放された。しかし、君との出会いによって、今やっと心が解放されたよ。ありがとう。」
 
 ひどい人権侵害の被害者は、ほとんどの場合、長期にわたるトラウマに悩まされる。人権侵害の事実が明らかになり、責任者の処罰があっても、トラウマから抜け出すことは難しい。真摯な改悛を伴う謝罪と償いがあって初めて、和解の望みが生まれるという教訓である。

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