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国際人権ひろば No.112(2013年11月発行号)

特集 中国延辺スタディツアー

中国朝鮮族の「移動のスケープ」とトランスナショナル・ファミリーの現状を実感して

李 善 姫(イ・ソンヒ)
東北大学東北アジア研究センター・専門研究員

 国際移住労働女性と出会う

 
 『A:どこに行かれるのですか』『B:ベトナムです』『A:ベトナムですか、韓国にいらっしゃるのかなと思いました』『B:夫は韓国で働いています。私の収入の半分にもならないですけどね』『A:じゃ、延辺にはどなたが残っていますか』『B:義理の母親です。息子も今はデンマークで留学中なので…』『A:ワウ、とっても国際的な家族ですね』『B:私は、もう13年も海外で仕事しています。韓国の企業ですけどね。この前は、息子からデンマークの方が環境が良いから、そっちの女性と結婚して定住することも考えていると言われ、それだけは絶対ダメと言いました。何のために家族バラバラで頑張ってきたのか…』
 
 文化人類学を専門とする私は、飛行機や飛行場の待合室で同じく移動をする人に声をかけて喋るのが好きだ。大阪のお嬢様たちには負けるだろうが、半分は職業的癖で話をかける。面白いことに、ほとんど2度と会うことのない相手に人は自分の事をよく話すのだ。上の会話で、Aは私、Bは隣に座った中国朝鮮族の女性、そして会話の場所は延辺から北京に向かう飛行機の中だ。一目でどこかに出稼ぎに行かれる朝鮮族の方だなと思ったので、朝鮮語で話かけたのだが、それが大当たりだった。
 そうそう、私たち一行は5泊6日の日程でヒューライツ大阪が主催した「中国延辺朝鮮族自治州への旅ー移住女性の故郷をたずねて」の日程を終え、ちょうど帰国のために飛行機に乗ったのだ。そして、その2日前に延辺大学の先生たちとのワークショップで、中国朝鮮族の国際移動とトランスナショナル家族の状況を聞いたばかりでもあった。グローバライゼーションの波は、中国の東北、北朝鮮の境界地域に住む中国朝鮮族の社会にもよせ、既存の社会と人々の生活は大きく変化しつつあることを実感したツアーだった。その最後に、私は思いもしなかった形で中国朝鮮族の「トランスナショナル家族」の話を当事者から聞くことができたのである。
 

 中国朝鮮族の非農家と移住の過程

 
 話をワークショップに変えよう。ワークショップでは、延辺大学女性研究センター所長である金花善(キム・ファソン)さんと人文学院社会学部の李華(リ・ファ)さんから中国朝鮮族の国際移動と地域・家族といったコミュニティの変容についてお話を聞くことができた。
 市場経済の導入以来、中国社会が大きく変化していることは周知のとおりだ。しかし、中国朝鮮族のグローバルな移動については、それほど知られていない。120万人の中国朝鮮族が居住している吉林省は、中国国内で人口の国際移動が最も多い地域として、福建省に次ぐ全国第二位となっており、経済成長率では全国一位であるという(2000年現在)。中国朝鮮族の国際移動は、いつからどのように行われたのだろうか。
 金花善さんの資料によると、中国は1980年代からの改革開放後に、全国的に「非農業化」が進み、2002年人口全体の39.1%であった都市人口は、2011年には51.27%と農村人口を上回ったという。そして現在、中国都市には約1.2億の「農民工」という新しい集団ができている。「農民工」とは、農村戸籍を持つが都市で非農業産業に従事している人々を指す言葉だ。彼らの多くは都市に融合できず、都市の「周辺人」と呼ばれているということである。
 さて、日本植民地時代に朝鮮半島から中国に移住した中国朝鮮族は、その殆どが東北3省の農村地域に定着し、米作を行っていた。1980年の改革開放以降、中国朝鮮族の村にも「非農業化」が進むことになる。朝鮮族農民の「非農業化」の特徴は、現地への非農業化よりも、都市への移住、あるいは国際移住によるものであるとしている。そして、その殆どは、韓国に関連するものであり、また移住の主役は女性たちだったのである。
 金さんは、報告資料で、延吉市のM村を紹介している。M村は、改革開放以降村レベルで明太(スケソウダラ)加工業で成功を納め、非農業化が進んだ。しかし、10年後販路開拓がうまくいかず、所得に大きな損害が生じるようになると、今度は韓国での移住労働が次々と広がる。結果的には村民の3分の1が韓国に移住労働で出ていてしまうことになるが、その移住の段階は大きく二つに分けられる。第1段階は、92年の韓国と中国の国交回復から2007年までの間で、当時韓国政府は「縁故のある同胞」のみを受け入れていた。この段階の移住は、主に不法移住市場を通しての国際結婚、又はブローカーによる移住だった。つまり、まず朝鮮族女性の結婚による移住が主に行われ、その女性が自分の親や兄弟や親せきを再度招待する形での移住の連鎖が行われていたのである。ところが、2007年に韓国政府は、一定の資格試験を通過した人に与える「訪問就業制」を実施する。以後、性別と世代を超える韓国での移住労働が実現するようになったのである。
 
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延辺大学でのワークショップで報告する李華さんと金花善さん
 

 移住の女性化と揺れる家族

 
 朝鮮族女性の国際移住は、従来の女性の家庭内役割を大きく変化させたようだ。今朝鮮族社会には「遠隔母性」という言葉や、「遠距離子育て」という言葉が通用している一方、実際に誰が子育てをしているのかが大きな問題になっているという。李華さんの報告では、親の国際移動により、バラバラに暮らす中国朝鮮族の実態がよく現れていた。2011年11月20日の延辺日報によると、延辺朝鮮族自治州でひとり親あるいは両親と同居しない学齢期の子どもの数が3万人余りであり、それは全学齢期の子ども総数の50%以上になるという。このように多くの朝鮮族の子どもたちがひとり親又は両親と離れて生活している中、現実には誰が残された子どもを養育するかによって、多様な形の家族が出現している。子どもの世話は母方の祖父母が行っているケースがもっとも多いが、養育を任せる親がいない場合は、母親と父親の姉妹や親戚に頼む場合もあり、最近は学校の先生に一定の謝礼を送り、先生が養育者になるケースもあるという。そんな中でも海外にいる母親は、メールやSNSなどで遠隔コミュニケーションを取り、養育者と学校の教師、親族、友人との交流を頻繁に行い続けることで、国境を超えるサポートをしているとのことである。しかし、そのような努力とはうらはらに、子どもたちの少年犯罪や心の病も少なくなく、親がそばにいない「留守番児童」の未成年犯罪事件も社会的に注目されている。今、朝鮮族社会では、子どもをおいて出稼ぎに行くべきなのかどうかについて議論が絶えないようである。
 中国朝鮮族の移住労働の現象は、当分は続くようだ。ただ、明るい兆しとしては、韓国政府の移住労働者に対する規制の緩和で、子どもを短期間韓国に呼び寄せる事もできるなったこと、そして通信技術の発達と普及により遠距離でも親子のコミュニケーションができるようなるなどで、家族間の親密性が維持できるようになったことだと李華さんは指摘した。
 

 移動による歪みは「移動の自由」で自然治癒を

 
 私は東アジアにおける結婚移住の研究をしている。移住女性の多くは、一度結婚して失敗し、再婚という形で日本に来ている方が多い。言い換えれば、女性の多くは、貧困や加齢、離婚などを原因に、行き場を失い、移住の道をたどる。仲介業者による金銭的やり取りが前提となるこの国際結婚については、人身売買、偽装結婚など批判の声が絶えない。その一方、結婚後良い家庭を築く人達もいる。その是非を簡単に決めつけることは難しい。
 我々は、移動の時代を生きている。問題は、移動をする人々ではない。移動を取り巻く差別的制度であろう。移住労働者が家族と離れ離れになるのも移住のために結婚を選択せざるを得ないのも、受け入れ社会の勝手な規則によるものである。規制により生じる、移住者を取り巻くコミュニティ関係の歪み。その移動の歪みは移動の自由で自然治癒させるのが一番いいのではないだろうか。規制だけで管理しようとする日本社会でも考えてほしいものである。
 
<参考文献>
許燕華 2011「中国朝鮮族のトランスナショナルな移動生活―在韓出稼ぎ女性のライフ・ヒストリーから」(『京都社会学年報』第19号)