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国際人権ひろば No.110(2013年07月発行号)

国際化と人権

在日本中国朝鮮族のコミュニティーについて -「在日本中国朝鮮族関西友好会」の活動を例に-

蔡 春花(さい しゅんか)
プール学院大学 非常勤講師

朝鮮族とは

 
 朝鮮族は中国国籍を有する中国少数民族の一つである。公用語として中国語とともに朝鮮語も使用し、家族との日常会話は主に朝鮮語を使用する。教育面では、小学校から高校まで朝鮮語で全ての課目を学ぶことができて、同時に中国語も学ぶ。また中学校から日本語を教える学校も多いため外国語の中で特に日本語を得意とする。生活はオンドルの部屋を好み、食べ物もキムチなどの伝統的な韓国・朝鮮料理が多く、習慣も文化も韓国・朝鮮に近い。
 

 朝鮮族が中国に定住した経緯

 
 朝鮮人が集団的に中国へ移住を始めたのは1895年に中国の清朝が正式に長白山(白頭山)周囲の地域に対して「封禁令」を解除してからだ。「封禁令」とは、清朝が王朝創設初期の17世紀後半から長白山(白頭山)と鴨緑江(図們江)の北岸地域を含む地を「封禁地」とし、移住はもとより朝鮮人参採取や狩猟などを目的とした外部からの立ち入りを禁じる政策である。「封禁令」を解除してから中国への移住はある程度合法的なものになった。封禁令が解除される前から様々な形で越境する朝鮮人はいたが、移住が不法のため数が少なかった。また1930年代に日本の満州支配と朝鮮人計画移民により朝鮮からの移住が急増したが、1945年に日本の降伏で朝鮮が解放されると約70万人の朝鮮人が帰国した。一方、かなりの朝鮮人は中国に残った。1949年に中華人民共和国が成立した後、中国に居住する朝鮮人は中国の朝鮮族として認められ、地域の自治を実施できる権利を得た。中国の1953年の人口調査報告書には中国朝鮮族の数は112万人と記録されている。今日の朝鮮族は当時中国側に残った人々やその子孫がほとんどであると言われている。
 筆者の祖父も5歳の時、1933年に両親と共に中国の地に渡っている。中国で同じ朝鮮族の祖母と結婚し、筆者が三世である。
 

 朝鮮族の現状

 
 過去50年間の中国人口調査によれば、中国朝鮮族人口は1953年から2000年まで増えていて、2000年時点で中国朝鮮族人口は192万3842名である。しかし、近年は朝鮮族人口が急激に減少している。
 朝鮮族の分布状況は東北三省と言われる吉林省、遼寧省、黒竜江省が朝鮮族総人口の92.3%を占めている。中でも朝鮮族が最も多いのが朝鮮族総人口の59.6%を占めている吉林省で、吉林省の延辺朝鮮族自治州には朝鮮族総人口の41.7%が居住している。
 
 延辺朝鮮族自治州統計局の発表によると、2004年戸籍に登録している朝鮮族は82,481名で2000年の人口調査に比べて、21,654名減少した。延辺の朝鮮族人口比率も2000年度は38.55%だったが、2004年には37.7%になり0.85%も落ちた。これは死亡等の自然減少の他、延辺以外の土地への移動が大きかったことを意味する。
 延辺朝鮮族自治州公安局の出入国管理処の発表によれば、旅券を所有する地域住民の出国地域は世界88ヶ国に達している。2004年前半期の集計では出国者の85%は韓国、7%はロシア、4%は日本、1%北朝鮮、残りは他のアジア諸国、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカなどの国であった(吉林新聞2005年1月8日)。朝鮮族の出国先は言葉が通じる韓国が明らかに多く、2007年から韓国で実施した「訪問就業制」によりさらに増え続けている。韓国政府の発表によると、2005年の在韓国朝鮮族は14万6338名だったが、2009年には44万3836名になっており、たった4年の間に約3.5倍増えている。
 
朝鮮自治州の地図(朝鮮族ネット).jpgのサムネール画像
出典:朝鮮族ネット:地域紹介(http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/area.htm)
 

 在日本中国朝鮮族のコミュニティーについて――「在日本中国朝鮮族関西友好会」の活動を例に

 
 朝鮮族の来日は中国の改革開放を機に始まって20年の歴史がある。留学生活を終えて就職して日本に定住した人も多い。現在日本にはおよそ5~6万人の中国朝鮮族出身の人たちが居住しているといわれている。
 日本では朝鮮族のコミュニティーがいくつかあるが、その中の一つである「在日本中国朝鮮族関西友好会」の活動について紹介する。
 「在日本中国朝鮮族関西友好会」は2012年4月に設立している。しかし、実際の活動は2010年10月に生野区で行った朝鮮族の運動会が始まりである。その後、筆者も企画に参加した2011年10月の二回目の運動会では関西全域から90名あまりの朝鮮族が集まり、チームプレーや家族競技や綱引き等を楽しんだ。お昼の休憩時間は御弁当を食べながら、民族舞踊が得意な人は舞踊を披露して、歌が得意な人はアカペラで歌って、楽しい一時を過ごした。参加者の内訳は日本で定住している会社員と両親や子どもを含む家族、自営業者、教員、留学生やその友人達である。
 そして、運動会の参加者からの要望もあって11月には朝鮮族婚活イベントも行った。独身の参加者達が自分の結婚観や朝鮮族としてのアイデンティティーについて語る討論会のような形で行い、朝鮮族を研究している日本の大学の教授や研究者も含めて25名参加した。また2011年12月には朝鮮族の忘年会を開いて100名余りが参加して、朝鮮族の伝統料理やゲームを楽しんだ。
 これらの活動を通して、朝鮮族のコミュニティーの必要性を強く感じ、同じ思いを持っている人達が集まり、2012年4月に正式に「在日本中国朝鮮族関西友好会」を設立した。設立目的は『日本社会における多民族・多文化共生社会の実現を目指すとともに、在日本中国朝鮮族社会の豊かな社会基盤の創造と東アジアにおけるコリアン・ネットワークを強化し、コリアと日本の市民社会の発展に寄与する』ことである。目指している事業は①在日本中国朝鮮族をはじめとする学術、文化、芸術、又はスポーツの振興を図る活動事業、②運動会、忘年会、婚活イベント、留学生関連イベント、育児関連イベントなど、③在日本中国朝鮮族社会の豊かな社会的基盤の構築に向けた社会教育事業、④その他、目的を達成するために必要な事業である。
 理事会は会長を含めて10名で構成され、2011年の活動から運営に関わったメンバーが中心である。理事は日本に10年~16年以上暮らしている朝鮮族達で、日本で就職し定住している人が多い。会長の好きな言葉の一つに「短い道のりは一人で進め、しかし長い道のりはみんなで進め」という言葉があるという。日本に定住し、これからの人生を日本で歩んでいく中で朝鮮族同士が集まり、情報交換をして、やがて生まれて来る次の世代にも朝鮮族の文化を伝えていこうとする思いを理事達は持っている。
 2012年の友好会の活動は4月の花見会から始まった。以前から朝鮮族の集まりに参加していた人や新しく参加した人、朝鮮族以外にも中国からの留学生や日本人も合わせて60名位参加した。花見をしながら、食事を楽しんだ後、司会者の進行で歌って踊り、独身男女のバレーボールゲームもあって笑いが絶えない時間を過ごした。10月の第三回目の運動会では80名位の参加者が多様な競技を楽しんだ。12月の忘年会は70名が参加して、ライブハウスを貸し切り美味しい料理を頂きながら、友好会で用意したプログラムを楽しんだ。本格的な音響設備が備えてある舞台の上で歌を歌ったり踊ったり、ピアノ演奏、風船ゲーム、そして、プロとして活動しているゲストの「変顔」ショーの披露もあった。
 
2012年10月第3回目運動会(今里公園).jpgのサムネール画像
2012年10月第3回運動会(今里公園にて筆者撮影)
 

 今後の活動と課題

 
 在日本中国朝鮮族友好会の活動の参加者の特徴の一つは子どもを連れた家族が多いことである。日本で生まれた子ども達は中国での生活経験がなくて、朝鮮族の文化を学ぶ場がないことを心配して、友好会の活動に意識的に子どもを連れて参加する保護者が多い。これらの参加者の要望に応えようと理事会は毎回の活動に子どものプログラムを入れて子ども達も楽しむように工夫している。今後は子ども対象の「朝鮮語講座」、「中国語講座」を開くことを検討している。もちろん理事達も多忙な日常を送りながら、時間を作ってボランティアで全ての活動を支えているため、参加者のすべての要望には応えることができない。しかし、日本に住んでいる朝鮮族同士で力合わせて朝鮮族の文化を守り、築きあげて、それをまた後世に伝えていきたいという思いがある限り友好会の活動も続くのであろう。