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国際人権ひろば No.104(2012年07月発行号)

人権さまざま

夢と希望

白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所長

 

すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
(市民的及び政治的権利に関する国際規約 第19条2項)
 
 大阪市長が、府市が運営補助金を支出する「大阪人権博物館(リバティおおさか)」と府市が出資する「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」を統合させ、子どもが近現代史を学べる博物館を新設する考えを明らかにした。2012年5月11日のニュースである。
 
 市長は、府知事時代の2008年、「リバティおおさか」の展示内容の見直しを求めた。2012年4月にも展示替えをした博物館を視察して、「差別や人権に特化しており、子どもが夢や希望を抱ける展示になっていない」と批判したという。「どうしてもネガティブな部分が多い」、「夢や希望に向かって努力しなさいと教える施設に」と指示していたのに反映されていない、「僕の考えに合わない施設には公金を投じない」と言ったと報道された。その後、「リバティおおさか」への補助金打ち切りの方針が決まったという。
 
 「ピースおおさか」も安泰ではない。日本の戦時中のアジア・太平洋地域への加害行為を伝える同センターの展示について、これまで、視察した議員などから「自虐的」、「反日教育」であると批判されていた。市長は、「一回ゼロにして作り直す」考えを語ったという。子どもたちが、日本の近現代史を学ぶ施設、歴史認識について「両論併記」で多角的に教えることをやりたいとのことである。「補助金を受ける以上、決定権は僕にある」という。
 
 「大阪人権博物館(リバティおおさか)」は、設立以来、差別の歴史と人権、人の尊厳についての展示をしてきた。そのような目的を持って作られた施設である。歴史の中で多くの人々がどのように差別され社会から不当な扱いを受けてきたか、差別を制度化した社会の仕組み、そしてそれに対して、虐げられてきた人びとが人としての尊厳と人権の実現を求めてどのように闘ってきたかということを、展示を通して学ぶ。歴史の事実を次世代に伝え、記憶を風化させないために、博物館には今もその使命がある。これは、施設運営の問題とか展示の仕方というようなことではなくもっと本質的な問題である。
 
 「子どもが夢や希望を抱ける展示になっていない」、「どうしてもネガティブな部分が多い」という批判は何を求めているのか。子どもに、大切な歴史上の事実を知らせるなということか。辛い、苦しい差別と偏見にさらされた人々がいたことそして今もいること、不条理な社会の仕組みを子どもは知らない方がよいというのか。子どもたちは、このような展示を見て気が滅入るばかり、これでは、自分たちの将来に夢と希望を抱くことができないというのか。夢と希望はネガティブな歴史上の事実を隠すことで可能になるのか。現実を直視しないで押し付ける夢も希望も作り事に過ぎない。真面目に反論するような主張ではない。子どもたちを侮ってはならない。「夢と希望」などという内容のない言葉をならべても、だまされはしないであろう。
 
 他方、これとは別の「夢」がある。1960年代のアメリカで、公民権運動の先頭に立ったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの有名な演説。「私には夢がある」という演説である。苛酷な差別の現実を見据えての「夢」、歴史を動かした「夢」である。
 
 「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」も同様である。日本の戦時中のアジア・太平洋地域への加害行為を伝える同センターの展示を見て「自虐史観」とか「反日教育」とかいう人たちは、第二次世界大戦は、日本が自衛のために、そして欧米の帝国主義、植民地主義のくびきからアジアの人びとを解放するために戦った戦争だという。日本が侵略者であり、加害者であったというのは戦勝国の主張であり、これを鵜呑みにすることは自虐的であるともいう。若者が誇れる美しい日本を教えようという政治家がいたことを思い出す。他方、これまで私が出会ったアジアの人は、今も多くの人々が日本の加害を忘れないという。日本人にとっても辛い、しかし直視すべき歴史の出来事である。
 
 事実に基づかない「歴史観」を「一つの歴史解釈」として政治の力で表舞台に押し上げようとする人たちがいる。歴史の解釈は様々あるかもしれない。しかし歴史の事実を全くなかったものとして無視してしまうことは歴史解釈の問題ではない。
 
 別のニュースである。2012年5月24日の報道では、東京で6月から開催を予定していた写真展が会場を運営する会社によって突然中止された。写真展の開催に抗議する電話が複数あったという。この写真展は、戦後中国に置き去りにされた朝鮮人元「従軍慰安婦」を題材にしたものであった。インターネット掲示板には会場を提供した会社に不買運動を起こそうとか、「抗議電話をして売国行為をやめさせよう」という書き込みが相次いだという。
 
 「夢と希望」、「誇れる国、美しい国」などと言いながら、圧力をかけて、事実を隠し、曲げてしまおうとする。表現の機会を奪い、情報へのアクセスを妨害する。これは由々しい人権問題ではないか。情報を伝えることも、情報を得ることも人権なのである。