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国際人権ひろば No.98(2011年07月発行号)

特集 東日本大震災と人権

少数者への視点~被災者がひとりも排除されないために~

吉富 志津代(よしとみ しづよ)
大阪大学グローバルコラボレーションセンター特任准教授

はじめに

 2011年3月11日、東日本にとんでもない地震、津波、原発の被害がもたらされた。未曾有の震災と言われた1995年の阪神・淡路大震災の数倍の被害である。その阪神・淡路大震災を契機に生まれた団体「FMわぃわぃ」と「多言語センターFACIL」(以下、FACIL)が、いくつかの団体と連携して今回の震災直後から開始した震災支援活動について紹介したい。
 FMわぃわぃは、阪神・淡路大震災時に、日本語の理解の不十分な地域住民への情報提供のために市民が立ち上げ、地域に暮らすマイノリティも排除されることのないように、ラジオを活用した多言語/多文化のコミュニティ放送局で、住民参加型の、現在10言語による放送を続けている。
 また、FACILは、28言語の翻訳・通訳センターとして、WEB、印刷物、音声などのツールを活用し、移民コミュニティとのつながりを活かして大切な情報を多言語で伝えることにより、日本語しか理解しない住民と、日本語がわからない住民との双方向のコミュニケーションを促し、地域社会の活性化への可能性を広げ、特に外国にルーツを持つ住民の仕事づくりにもつなげている。 

東日本大震災直後の情報提供と連携

 震災発生直後から、FMわぃわぃでは、FACILと協力して「津波への注意喚起」「デマに気をつけよう」「災害伝言ダイヤル」「はげましのメッセージ」などの多言語情報を放送した。その音声データはホームページにアップして、他のラジオ局にもよびかけて、これを公開した。多言語を理解するスタッフもアナウンスをしたが、主には、自治体国際化協会と作成した「災害時多言語情報データベース」、JICA兵庫・国際防災研修センターと作成した「災害時多言語音声素材集」など、16年間に蓄積した多言語音声データを活用した。日常の備えが大切であることを改めて実感した。
 しかし、伝えなければならない情報は、刻一刻と更新され、あらかじめ想定されている多言語情報だけで十分なわけではない。音声素材は、日頃からデータを整理しておくとともに、地域での防災訓練等でも活用して住民がその必要性を意識していくような環境づくりとともに、追加情報をすぐに多言語でも配信できるネットワークがあってこそ、実際に役立つ。
 震災翌日から滋賀県で始まったNPO法人多文化共生マネージャー全国協議会が運営する「東北地方太平洋沖地震多言語支援センター」では、多くの関係者の協力で、大切な情報を毎日6言語に翻訳してWEBにアップするという活動を4月30日まで続けた。FACILはこの翻訳に協力し、「大阪大学グローバルコラボレーションセンター」を通じて、ボランティアの募集や広報活動をし、「オックスファム・ジャパン」には、パソコンの提供などをお願いした。そして、FMわぃわぃは、そのWEBにアップされた多言語情報を音声データとして追加していった。オックスファム・ジャパンに、被災者への配布用のラジオの受信機の手配もお願いすると2万台を集めてくれた。また、ラジオの放送機材などは、「BHNテレコム支援協議会」(以下、BHN)の提供を受けた。
 このように、いくつかの組織が連携して、得意分野で協力し、支援した。 

復興に向けた活動へ

 初期の情報提供が落ち着き、復旧/復興に向けた取り組みが始まる中で、“住民自身によるコミュニティラジオの活用”“情報の多言語化”“移民コミュニティの自立”という活動へと移行して行った。災害時のコミュニティラジオの有効性は周知の通りだが、FMわぃわぃは、ラジオ局間の情報交換のためのネットワークづくりのお手伝いや、住民参加を促進するワークショップを開催する準備などを進めている。
 また、FACIL?では、オックスファム・ジャパンの協力を得て日本人の配偶者が多く住む被災地で、自助・互助活動をきっかけに気仙沼市のフィリピン人の女性たちが中心になってできた「バヤニハン国際友の会」に対し、タガログ語のラジオ番組制作を提案しサポートを始めている。神戸からのサポートは遠方で簡単ではないため、この活動には「奥州市国際交流協会」にも協力をお願いし、機材はBHNから寄贈された。
 番組は、FMわぃわぃで放送するとともに、被災地のいくつかのコミュニティラジオ局でも放送をしてくれる予定だ。番組を作ることだけが目的ではなく、そのプロセスが情報交換の場づくりにもなる。また、彼女たちは、夫や子ども、夫の両親たち家族の中で、日常的に日本語での生活をしているが、自分の言葉であるタガログ語で被災体験を話し、相談ができる機会があることで、心のケアにもつながる。
 同時に?FACIL?は、スペイン語圏の南米コミュニティへの支援も行っている。「ひょうごラテンコミュニティ」は、震災直後から、自分たちが活動のために活用しているFacebook、電話、ラジオ放送、スペイン語の情報誌などを通じて、大切な情報を発信し続けている。もともとあったコミュニティが被災地のひとりひとりへとつながりを持って支援活動をしている。
 今後の復興過程において、外国出身の住民自らが、発信する側にも参画したネットワークのためには、当事者同士の緩やかなつながりを広げ、同じ文化や言語で自助/互助活動によって地域社会で自立し、地域住民との対等な協力関係を築くまでのアファーマティブアクションも必要である。 

多文化な視点への気づきへ

 東日本にも、多くの外国出身の住民が暮らしていた。日本国籍を有する人たちも多いので、その数字は、外国人登録者の数字だけでは把握できないが、その背景も、研修生、留学生、日本人の配偶者、日系人など、多様である。いち早く本国の支援で帰国をした人、親戚などを頼って避難した人、避難所に暮らす人、その後の動きもまた多様である。特に日本人と結婚していたお嫁さんたちの動きもそれぞれであった。もともと東北の農業や漁業に従事している家庭に嫁いだお嫁さんは、いわゆる「日本人らしく」するという同化によって、その家族や地域社会に認められてきていた場合が多い。自分の子どもであっても、家庭では日本語で育てることを望む姑にあわせてきた人も多いという。そして、近所の住民たちは“日本人みたいによく働く”ことを求めてきた。そこに災害が起こり、母国に一時避難した人たちは、“自分だけ逃げた”と言われることもあり、帰国後には、家族との信頼関係が振り出しに戻る場合もある。
 では、お嫁さんたちが、日本人のように振る舞うことで認められてきた信頼関係は、本当の信頼関係と言えるのだろうか。一方がもう片方に合わせるだけの関係は、対等と言えるのだろうか。自分の子どもでありながら、自分の言葉で話すこともできず、被災してもその体験を自分の言葉で吐き出すことができない環境が、人権の守られた民主的な社会と言えるのだろうか。今回の災害自体は二度と起こらないでほしいが、それを契機に生まれたさまざまな動きの中で、外国出身の住民たちの緩やかな助け合いのネットワークは、今後、地域の多様な住民が、出自に関わらず自分らしく暮らし、地域社会の中でも自分のできることを活かせる本当の共生社会への第一歩になるのではないかと期待している。
 今回の災害で、ラジオ放送の役割/有効性が見直された。災害臨時FM局も20局近く立ち上がり、阪神・淡路大震災のときと比べて認可へのハードルも低い。また、ラジオ局も災害時だけの役割ではなく、日常からコミュニティの情報を伝えていてこそ災害時に活用できるという意識も広がりつつある。そして、地域住民へ情報を届けるという役割の中に、日本語の理解が十分な住民たちへの情報提供という阪神・淡路大震災で気づかされた大切な視点も、少しは実行されていた。今回、被災地のいくつかの自治体や国際交流協会が、いち早く情報の多言語化とともにラジオを活用した。バヤニハンのメンバーは、「今週末に気仙沼市に花を植える活動をみんなでするから来てね!」と広く呼びかけ、張り切っている。16年の時の流れは、少なくとも被災者が多様であること、そして多様な被災者がだれも排除されることのないような支援体制が考えられるべきであること、そしてそれが実行されることで助け合いの可能性を広げ、復興にむけてプラスの効果をもたらすということについて、意識は少しは進んだように思う。もちろんまだまだ十分ではないが、阪神・淡路大震災からの小さな活動が、社会を改善する動きへとつながるのだと実感し、今後もこれを続ける原動力とし、東日本大震災の連携した活動を続けたい。

「バヤニヤン国際友の会」のタガログ語番組の打ち合わせ/収録風景

「バヤニヤン国際友の会」のタガログ語番組の打ち合わせ/収録風景


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