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国際人権ひろば No.92(2010年07月発行号)

人権さまざま

政治、ことば、そして人権

白石  理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪 所 長

国連憲章
 前文

「…基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進する…」

 第2条3項
すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。

世界人権宣言
 前文

「…人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である…加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約した…」

 2010年6月までの4年間に、わが日本国には4人の総理大臣が就任し、そして去って行った。先が見えない。政治に一貫性も安定もない。

 2009年後半にあった政権交代では、選挙民の期待を反映してか支持率が上がった。しかし、政権の座に着いたそれまでの野党は、様々の政治課題に直面することになった。なかでも、沖縄のアメリカ軍基地の移転問題である。新しい政府責任者は、普天間基地を名護市辺野古に移すという前政権の決定を「白紙に戻して」と言い続けて、沖縄の人びとの期待を煽り続けた。基地を「国外か、最低でも県外」に移転するといってきた政府責任者は、やがて、「やはりそれは難しいことが分かった」と言うようになった。当初の決意とは全く異なる内容の合意をアメリカと結んだ政府は、「外交的な約束だから」という既成事実で決着しようとする。利害関係者を外してなされた合意には縛られないとする人びとと民主的に選ばれた政府が結んだアメリカとの合意は守るべきとする政府の間の溝は深い。最初からできないことを、できるかの如く言い続けて、選挙民をだましたとも言われた。変革の旗を掲げた政府の、まもれない言葉、忘れてしまいたい言葉。政治は言葉の魔術である。

 沖縄には犠牲になり苦しんできた戦前からの長い歴史がある。アメリカ軍沖縄上陸では、婦女子、高齢者を含む多くの非戦闘員が犠牲になった。戦後は、「抑止力」としての役割を果たしてきたというアメリカ軍駐留。これまで、日本の安全保障の要であり、日本の経済的繁栄をもたらしたという日米「同盟」。今、沖縄の人たちはこのような言葉に納得していない。日本の人口の1パーセントの沖縄に在日アメリカ軍基地の76パーセントが集中する現実。沖縄の人びとは、不公平、不公正な押し付けに怒っているという。

 政府は国の力で押し切ろうとしていながら、その言葉は、「よくご説明申し上げ、ご理解を頂いて」とあくまでも丁重、腰が低い。ここにも言葉の魔術がある。

 現実主義者と呼ばれる人たちがいる。日本国憲法は非現実的な理想であるという。その憲法前文にいう。「日本国民は、…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」 これを受けて憲法第9条には、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。日本は戦争ができないから代わりにアメリカに「抑止力」となってもらう。その代りに基地を日本において、それにかかる費用は「おもいやり予算」として日本の国費で賄う。「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使」を「永久に」放棄した国が、自衛のための武力をもつ。さらにそれだけでは心もとないので、「安全保障条約」を結んでアメリカに国を護ってもらう。そうして「抑止力」としてのアメリカ軍の日本駐留が続く。かつて、日本は極東地域以外ではアメリカ防衛の義務はないから日本にとっては大変有利な条約であると説明されたことがあった。当時私は、まさかと思った。今も思う。前政権時代に、「国際協力」ということで、自衛隊を派遣して、イラクのアメリカ軍を支援し、インド洋上での給油活動をおこなった。ここでも、「国際協力」という言葉の魔術が横行した。

 「平和」憲法の規定と武力の保持の問題、日米軍事同盟、アメリカの世界戦略の一環としての沖縄駐留、「抑止力」としてのアメリカ軍の役割。矛盾と疑問が日本を取り巻いているにもかかわらず、本質的な議論もなく、今の状況を打開する道筋も見えてこない。日米同盟は日本外交の基礎であるとか、アメリカ軍駐留が「抑止力」となっているとかいうことを当然の前提としての小手先の議論では解決は見えてこない。

 そこで、「押し付けられた憲法を変えてしまえ」という主張が出てくる。アメリカに頼らないで済む軍事力を持てるようにしようというのである。憲法を護り、第9条を護れというのは、愚かな夢物語と片付けていいのか。「人を大切に」という人権の理念が沖縄の現実にこそ活かされるべきであり、その視点から政府の政策決定がなされるべきであると思う。

 これまで、この「抑止力」の武力行使で、国をめちゃくちゃにされ、苦しみ、犠牲をしいられてきた人びとの例には枚挙にいとまがない。大切にされるはずの、守られるはずの人びとが吹き飛ばされる。「抑止力」が延々と武力行使をし続け、犠牲者を作り出しているのが現実である。かつてのベトナムで、イラクでそしてアフガニスタンで。