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国際人権ひろば No.85(2009年05月発行号)

韓国・障害者差別禁止法施行 1 年

「障害者差別禁止法制定推進連帯」のたたかいは続く

朴  君 愛 (パク クネ)
ヒューライツ大阪上席研究員

保健福祉部(省)前で抗議の記者会見の準備をする障推連のメンバー
保健福祉部(省)前で抗議の記者会見の準備をする障推連のメンバー

政権交代の中で


 韓国で、障害者差別禁止及び救済に関する法律(以下、「障害者差別禁止法」1が施行されて2009年4月で1年を迎えた。障害者自らが声をあげ、2001年頃から法律制定を求める議論が活発になっていき、2003年春には、障害者団体が集まって、障害者差別禁止法制定推進連帯2(以下、「障推連」)が正式発足する。それ以降、障推連が中心になって制定運動を進めてきた。各地の障害者団体に参加を呼びかけ、全国を行進し、政党・政府・経済界など各界に交渉に出向き、座り込みも辞さないという果敢な運動によって、2007年 3 月に、障害者差別禁止法は国会を通過した。
 ほぼ同時期に、差別全般を禁止する「差別禁止法」の制定運動も展開された。こちらは、公的な人権機関である国家人権委員会が中心になって法案を作り、政府に立法を勧告した。しかし、差別禁止法は、政府案が国会に出されたにもかかわらず、2008年 5 月の会期終了とともに廃案になってしまった。この間の2007年12月に、 5 年に一度の大統領選があって、政権は、野党であったハンナラ党の李明博政権へ交替した。
 筆者は、2009年3月に、差別禁止法の研究をする市民グループに同行してソウルを訪問し、「障推連」の事務局長、朴玉順(パク・オクスン)さんにインタビューする機会があった。新政権が誕生して1年余り、国家人権委員会の規模縮小計画をはじめ人権政策が露骨に後退し、人権運動が抑えられようとしている。それは数日の滞在でも肌身で感じたが、その一方、はねのけようとするパワーも強く存在していた。以下、インタビューと資料を通じて、障推連の闘いの日々を紹介する。
 

国の担当部署が突然廃止の方向!―抗議の記者会見へ


 日本からの訪問を歓待してくれた朴玉順さんは、韓国の障害者運動にかかわって20年を越える闘士である。つい数ヶ月前に移転した事務所は、ソウルの景福宮駅の近くで、全国教職員労働組合ソウル支部の一角を格安で借りている(組合は、建物の管理者であるソウル市から 5 月までに出るよう通告されているとのこと)。
 道に迷って到着したら、保健福祉部(「省」)障害政策局長との話合いが急に実現して、すぐに報告の記者会見が行われるという。政府の規制緩和の流れの中で省内改編の動きがあり、突然、障害者差別の担当部署である「障害者権益増進課」を廃止する方針が伝えられた。それを撤回するよう緊急の申し入れをしていたのだ。朴さんは事務局長として話合いに参加すべきなのに、日本から客がくるということで待っていてくれたのだ。私たちも予定を変更し、共に「会見場」に参加することにした。
 記者会見は、保健福祉部の建物前の大通りに面した歩道の真ん中で行われた。省内敷地への立ち入りは禁じられていたようだ。横断幕が準備されて、地方からも障害者の活動家が駆けつけてきた。昨夜に決まった日程なのでメンバーが十分に集まることができなかったと朴さんは言った。NGO関連のメディアの記者が取材していたが、障推連のメンバーは、局長との話合いの結果を説明しながら、担当部署の廃止は、障害者差別禁止法を骨抜きにする措置であり、政府の規制緩和の一環だと見過ごすわけにはいかないと強く主張した3
 

 

障推連が大事にしていること


 日本からのグループを歓待してくれた朴玉順さんは、韓国の障害者運動にかかわって20年を越える闘士である。
 「差別や抑圧がもっと厳しい時代から運動を続けているのですね」。「だって、他にできないから」。朴さんは、カラカラ笑いながらいろんな質問に丁寧に答える。
 障推連の正式発足は、2003年4月であるが、朴さんが力説したのは、障推連は、立場や意見が違う様々な障害者団体を束ねている幅広い団体であることと、規模の大きな団体と小さな団体を対等に考えて、平等な参加を心がけてきたということである。発足当時58団体だった加盟数が、法制定時には297団体を数えた。
 当事者たちが、結束して闘い、専門家に任すのではなく自らが学んで条文を作り、ついには法律の制定を実現させたという自負は、障推連が作成した『障害者差別差別禁止法白書:「私たちが行く道が歴史だ」』(全5巻)の内容からも伝わる。数字で見る記録は圧巻である。例えば、罰金総額は5,300万ウォン(日本円で約420万円)。経済団体等の事務所を訪問した際に、警察に通報されて科されたものだが、すべてカンパで支払ったという。
 

障害者差別禁止法の内容


 障害者差別禁止法は、全文50条と附則からなり、障害を理由とした直接差別、間接差別、広告による差別を禁止するとともに、「正当な便宜の提供」(合理的配慮)を義務付けている。差別による権利救済のシステムとして、まず国家人権委員会が窓口となって、救済の申立を受けつける。その権限は「勧告」であるが、加害者が、勧告を受け入れない場合、次の段階として法務部(省)が是正命令を出す。是正命令も履行しない場合、3千万ウォン(約240万円)以下の過料が科され、悪意のある差別であれば、裁判所は3年以下の懲役または 3 千万ウォン(約240万円)以下の罰金を科すことができる。また裁判で損害賠償を訴えるときに、立証責任は、被害者と加害者に配分するとされている。
 

障害者差別救済を求める「申立」が急増


 障害者差別禁止法が制定されてからの一番の変化は、国家人権委員会への障害を理由とする差別の救済を求める申立が急増していることだ。報道資料によると2008年の障害者差別に関連する申立件数は696件で、2007年の245件、2006年の115件に比べると急カーブを描いて増加している。
 障推連は、この状況を、法律ができたことにより、差別に気づき、泣き寝入りしていた人たちが立ち上がったからだとして評価している。実際、障推連は、この法律をどう活用すればいいのか、平易に解説した冊子を作り、必要とする人に配った。保健福祉部も同様の冊子を作成した。しかし、今、憂慮されるのは、こうした救済を求める声に対し、きちんと対処できる体制が確保されるのかということだ。折りしも国家人権委員会の人員削減計画が持ち上がっていた。障推連は、国家人権委員会縮小に反対する市民団体のネットワークに参加しており、朴さんから、日本の人たちにもこの問題を知らせてほしいという声を受け取った。しかし政府は、早々と「縮小案」をまとめ、3月31日には21.6%の国家人権委員会のスタッフを削減する内容で強行に確定してしまったとのことだ。障害者の人権救済にもマイナスの影響が出るのは避けられない状況である。
 法施行の一周年にあたり、実際に効果をもって法律が実現されるために、障推連の更なるたたかいの日々が続いている。


1.日本語訳は DPI(障害者インターナショナル)
日本会議の HP
http://dpi.cocolog-nifty.com/website/kankokusabetukinnsi.doc 崔栄繁仮訳を参照。
2.障害者差別禁止法制定推進連帯の HP www.ddask.net(韓国語のみ)
3.「障害者権益増進課」は、結局「障害者リハビリ支援課」を吸収統合して、「障害者権益支援課」となることに決まった。その後の朴さんのメールでは、闘ったこその結果であるが、人権の視点から行政が担うべきという意味合いにおいて「権益増進」課の名前が消えたのは残念であるとしている。( 4 月20日現在)

インタビューで熱く語る朴玉順・事務局長
インタビューで熱く語る朴玉順・事務局長