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国際人権ひろば No.83(2009年01月発行号)

特集「日メコン交流年」と持続可能な社会づくり-私たちの課題 Part 4

開発が招く住民の立退きと権利の侵害~カンボジア

土井 利幸(どい としゆき)
NPO法人 メコン・ウォッチ理事

 カンボジア国民の多くは、河や森の自然資源に依存した生計を営みながら、相互を扶助する地域共同体の中で暮らしている。ダム開発や道路建設といった大規模事業は、こうした仕組みを揺るがす環境破壊や共同体の弱体化をもたらしかねない。これはカンボジアの人びとの生存権を脅かす問題である。一方、国家として法整備が進まない中、政治的権利を拠り所に大規模事業の横暴を防ぐには限界がある。以下では、こうしたカンボジアの現状を、開発が引き起こす住民立退きに焦点を当てて報告し、日本政府の役割について考えてみたい。

開発事業と立退き

 NGOが最近まとめた調査では、首都プノンペンだけで7万人、カンボジア全土で実に15万人もの人びとが強制立退きの危機にさらされている。2008年7月、プノンペン市当局とリース契約を結んだ地元企業が市内ボンコック湖の埋め立て工事に着手し、このままでは周辺のスラム住民2万人が移転を強いられるという。これは都市開発による住民立退きの例である1

 南部ココン州では中国企業がチャイアレンダム計画の実施可能性を調査しており、建設となれば先住民族など1,500人の住居が水没する2。ベトナム電力公社が東北部ストゥントレン州で調査中のセサン第2ダムでも5,000人が立退きを強いられ、こちらも多くは先住民族である3。この2事業は、中国やベトナムなど「新興国」がカンボジア国内で主導する開発で、近年増加する傾向にある。

 一般に、地元資本や新興国の資金で実施される開発事業では、自然・社会環境を保全する基準や被害を緩和する方策が弱い。さりとてカンボジアの法制度にはあまり期待できない。結局のところ、立退きを強いられた住民が移転先で、水や衛生設備の整った健康的な住環境、雇用・医療・教育などへのアクセス、あるいは住居に対する法的保護など、「適切な居住」の権利4を享受することは難しい。住民が立退きについて事前に知らされないことすらある。

国道1号線改修事業


  では、住民移転の手続きをある程度備えた国際開発機関や旧来の工業先進国?とりわけ日本?が援助する開発事業の実情はどうなのだろうか。

 プノンペンから国道1号線を車で東に向かうと、途中メコン河をフェリーで渡ることになるが、渡河地点の町ネアックルンからベトナム国境まで105キロ区間は2005年に改修工事が完了した。工事資金の大半にあたる40億円を融資したのはアジア開発銀行(ADB)で、その筆頭株主は日本政府である。1966年の設立以来、ADBの歴代総裁はすべて日本人で、事業への融資を決める理事会でも日本理事が最多の投票権を有する。ADBの事業に対する日本政府の責任は重い。
 この改修工事で立退きを余儀なくされた約6,000人の沿線住民に対しては、ADBが定めた「非自発的住民移転政策」に従って、カンボジア政府が土地や家屋を「再取得費用」5で補償し、移転後の生活水準が移転前と比べて悪化しないよう対処されるはずであった。しかし、1999年に移転が始まった時、大半の住民は取り決め通りの補償をもらえず、数年にわたってきわめて不安定な生活状況に追いやられた。NGOに指摘を受けてADBは2004年に事業監査を実施し、住民移転の失敗を認め、カンボジア政府に補償金の再支払いを勧告した。こうして2006年、住民はようやく補償の再支払いを受けた。しかし、苦情を寄せる住民は依然300世帯にものぼり、2007年7月には63世帯がADBに正式な異議を申立てた。63世帯は補償の遅れで多大の借金を背負い生計が回復できないと主張しており、現在ADBと解決手段について交渉中である。

 国道1号線の残りのネアックルン-プノンペン間55キロは、2005年以降日本政府の無償資金協力によって改修が進み、最終的に総額75億6,000万円が投入される予定である。2,000世帯以上に達する住民移転は2006年に本格化したが、こちらも当初は再取得費用での補償が行われなかった。事業には国際協力機構(JICA)の環境社会ガイドラインが適用され、同ガイドラインでは移転住民に適切なタイミングで十分な補償を実施することになっているが、これがきちんと守られなかった。NGOの働きかけで2008年に再支払いが実現したが、補償が遅れたことへの対応はなく、借金を負う住民が出ている。そもそも再支払いが依然として再取得費用に達していない可能性もある。生計回復についても具体的な計画ができていない6
 国道1号線改修の経験から、立退きの手続きが存在しても、結局きちんと守られず、住民の権利がないがしろにされることが分かる。この事業では、再取得費用による補償が主要課題となったが、補償が遅れたことで住民が負った借金の問題は未解決である。また、補償だけで移転後に生計を回復させることの難しさも浮彫りになっている。さらに、移転計画や補償内容の決定に際して、住民が事前に十分な情報を得、自由に意見を表明し、納得した上で同意するといった、あるべき姿までの道のりは遠い。

日本政府の課題と役割


 国道1号線改修事業では、日本政府もADBやカンボジア政府にたびたび改善を求めてきた。その努力は評価すべきである。しかし、課題も多く残っている。
 第一に、国道1号線改修のように、顕在化している移転問題を日本政府の主導で直ちに解決すべきである。その際、カンボジア政府の協力は不可欠なので、当面、大規模な住民移転をともなう新規開発援助を見合わせて、カンボジア政府と、どうすれば移転問題に対処できるようになるか、じっくり話し合うべきだ。
 第二に、顕在化した問題はきちんと教訓化すべきである。国道1号線では隣り合う区間を日本政府の開発援助で改修しながら、ADB融資区間で明らかになった再取得費用での補償や生計回復のための支援などの重要性が、無償協力区間にきちんと反映されなかった。日本政府の開発援助による住民移転は、今後も道路改修をはじめ、架橋、水力発電所、送電線などの事業で発生が予想される。同じ問題の再発は防がねばならない。
 第三に、教訓化は個別事業にとどまらない。現在ADBは、カンボジア政府に技術援助を供与して、住民移転に関する国内法整備を支援している。結果如何では、地元企業や新興国の事業による立退きへの働きかけもやりやすくなる。より効果的な法整備のために、こうした技術支援にこれまでの住民移転の教訓を十分に反映すべきだ

 昨今、カンボジアでも新興国の開発資金が勢いを増し、国際開発機関などには現行の環境社会保全政策に融通性を持たせることで対抗しようとする傾向がある。政府のハードルを下げないと資金が出せないというわけだ。しかし、このような時こそ、住民移転といった問題により高い次元で対処することで、日本政府の役割の重要性を内外に示すことができると考える。

<注>
1. FIDH, et al. (2008) Open Letter on Boeung Kak Lake Eviction, Phnom Penh, Cambodia.
  http://www.cohre.org/view_page.php?page_id=331
2. Middleton, C. (2008) Cambodia′s Hydropower Development and China′s Involvement. p. 30
  http://www.ngoforum.org.kh/Environment/Docs/3s/Cambodia%
  20hydropower%20and%20Chinese%20involvement%20Jan%
  202008.pdf
3. 杉田玲奈(2008)『水の声:ダムが脅かす村びとのいのちと暮らし』p. 53
  http://www.mekongwatch.org/resource/publication/watervoice_3.pdf
4. COHRE. The Right to Adequate Housing: A Guide for Local Governments.
  なお、カンボジア政府は1992年に「社会権規約」(ICESCR)を批准している。
5. 市場価格などによって、損失を受ける資産を回復するのに十分な費用を算出し、
  運搬・再建や登録・登記に要する費用を加えた総額。
6. 福田健治(2008)カンボジア国道1号線改修事業
  -無償資金協力と大規模住民移転-(『フォーラムMekong』Vol. 9 No. 2 pp. 22-27)