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国際人権ひろば No.78(2008年03月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

私たちが見たカンボジア社会

高井 真奈美(たかい まなみ) 近畿大学文芸学部学生

 「アジア各地では学校も行けず、満足にものを食べられず、路上で生活をする子どもたちが多くいます」。この言葉を当時16歳の私が社会の授業で聞いた時、私は衝撃を受けた。そして、同じアジア人として、同じ人間として、その現実を見つめなければならないと強く思った。その想いは薄れることなく、より一層強くなり、気が付けば同じ想いの人間が集結し、私たちはアジアの人々との直の交流の中で学びあう学生8人グループ「大阪発アジアふれあいネットワーク(略称:AFN大阪)」にまとまった。出発するまでに事前学習で私たちは歴史や社会が抱える様々な問題にふれたが、私たちは現地での交流を通じて、初めて現実の過酷さを「学ぶ」ことになった。
 

生きることへの執着心


 2007年3月下旬にカンボジアを訪れた旅で私は、「生きる」ということを心臓が張り詰めるくらい感じたことがあった。それはストゥンミエンチャイ地区ゴミ集積所を訪問したときであった。そこは、うず高く積まれ、銀色の煙が立ち込めるゴミの山。あらゆる種類のゴミが野積みになり、ダイオキシンの発生も心配される。医療廃棄物さえみつかる危険なゴミ捨て場である。
 ゴミ山の中では1つの村が形成されていた。集落があり、ゴミ買取所があり、休憩所がある。生ゴミ、鉄くず、缶などを買い取ってくれるが、それも1キロなどの単位で集めてやっとまともなお金になる。彼らはその少しのお金で生計をたてている。そこには今日、明日を食いつなぐために必死にゴミを「漁る」人々がいた。その中には着ている服も汚染物質で真っ黒に染められて、靴はおろか靴下も履かず、まだ血液が入っている注射器などが転がる地で働く子どももいた。炎天下、自分より大きな袋を引きずりながら歩く幼い子ども、働き盛りの中年、赤ん坊を抱える母親までもがゴミ収集車の周りに集まり、一心にゴミを「漁る」。その空間にいる間、私たちは彼らの「生きること」への執着心をひしひしと感じさせられたのである。
 日本にも必死に働く人はいる。しかしそれはある程度の将来を見据え、その中で生計をたて、少なからずでもやりがいを求めながら働いているのではないだろうか。しかしこのゴミ山で生きる彼らは明日、今日がどうなるのか分からない状況で働いている。私たちには、先の見えない不安の中でこれほどまでに「生きる」ことに執着した時間はあっただろうか。彼らが必死になってゴミを「漁って」いる時間と私たちが生きている時間は同じように流れているが、私たちの「生きる」意味と、ここで働く人々の「生きる」の意味は明らかに重みが違う。
 

人身売買の被害にあった子どもたちの笑顔


 私たちは2006年1月に一度訪れていたKnK(国境なき子どもたち)を再び訪問した。この団体はアジア各地でストリートチルドレン(家や住むところがなく、路上で生活をする子どもたち)や人身売買をされた子どもたちなど青少年を対象に衣食住と教育、職業訓練を提供する日本のNGOである。ここの子どもたちはとてもよく笑い、元気がよい。
 だが、私はKnKにいた1人の少女(以下J)の表情を見て胸が締めつけられる想いがした。Jは17歳であるが10歳の時に無理やりタイに売られてしまい、花を売る仕事をさせられ、売れない時は大人からひどい仕打ちを受けていた。そんな彼女の表情はどこか影があり、ふとした瞬間に寂しそうに一点を見つめ、切ない目をしていたのが印象的だった。
 Jの目を見るだけで彼女が過去にどんな目にあい、どんな想いをしてきたのかが伝わってきた。しかし、子どもたちの辛い過去を私たちが消し去ることもできなければ、親身になって話を聞いてあげることもできない。だからこそ子どもたちが触れ合いの中で笑顔になってくれると私は安心できたのだろう。
 私はKnKの子どもたちが笑ったり、触れてくれると無性に嬉しくなった。せめて私たちがいる時間だけでも、つながっていることを感じて欲しかった。交流している時、Jが笑っているのだろうか、楽しんでいるだろうかと気になって仕方がなかった。Jは私たちと過ごす中で、徐々に笑顔を見せてくれるようになり、最後には大笑いをしていた。人の笑顔を見てここまで嬉しくなったのも初めてだった。

KnKでカブトや鶴の折り紙をしながら交流しているもよう。向かって一番左が筆者。
KnKでカブトや鶴の折り紙をしながら交流しているもよう。
向かって一番左が筆者。

私たちはいったい子どもたちに何が出来たのだろうか。おそらく私たちは子どもたちに学んだことの方が多いだろう。過酷な労働条件で働かされ、精神的にも肉体的にも傷を負った子どもたちが、職業訓練で手に職をつけ、行けなかった学校に通い、再びその社会に戻ろうとしていた。そんな子どもたちの姿を見て私たちは何の言葉よりも勇気づけられ、身が奮い立たされた。
 彼らと私たちは、発展途上国・先進国という枠組みで捉えた際には対立する構図の中に位置づけられてしまう。しかし彼らと私たちは確実につながっており、事実、先進国で生きる私たちが豊かな生活を送ることが出来るのも、一方で発展途上国の人々が犠牲になっているからである。この対立する枠組みの中で彼らと私たちを捉えるのではなく、同じ心を持った人間として彼らと「共に生きる」方法を探していかねばならない。その方法を探すことが私たちの課題でもある。
 

地雷が残したもの


 この旅で私たちはCMAC(国内の地雷撤去活動や国民への教育啓発活動などを実地しているカンボジアの政府組織)を訪れ、実際に地雷が埋まっているという危険区域に分類されている村を視察させていただいた。そこには人々の生活があり、子どもたちはその危険区域内に軽々と入り込む。その横ではディマイナー(地雷撤去作業員)の地雷撤去作業が行われている。言うまでもなく、常に危険と隣り合わせの状況で村人は暮らしているのである。なぜ、安全な地域に移動しないのか。その原因の中に貧困という問題が浮かび上がる。移動する経済的余裕、またその他の選択肢がない。村人たちは地雷について私たちよりもずっと理解をしているけれど、ここを動かないということは貧困という厳しい現実が立ちはだかっているからである。
 MAG(ロンドンに本部を置き世界各地で対人地雷撤去作業を行うイギリスのNGO)では片足義足で働くディマイナーがいた。地雷撤去作業中に誤って地雷を作動させてしまい、脚をなくしたと彼は話していた。なぜ片方の脚をなくしてまでそこで働くのか。その質問を投げかけると「お金が必要だから」という答えが返ってきた。もちろん、全てのディマイナーがそういう考えだけをもってこの仕事をしているわけではないだろう。しかし、実際にお金が必要だということは彼らの目の前にある問題で、村人たちと同じ理由、貧しさという原因ゆえにそこにいる。地雷が残したもの、それは傷跡だけではなく、カンボジア社会に根強く残る貧困なのである。
 

ひとりの人間としてどうあるべきなのかを考える


 カンボジアに残る地雷と共に生きる村の人たち、貧困の象徴のひとつであるゴミ山で働く人たち、人身売買をされ、働かされ精神的にも肉体的にも苦しみ、傷ついた子どもたちがいること。これらはカンボジア社会で起こっている現実なのである。この現実を知った上で自分の役割を考え、行動していかなければならない。その一環として、レポート集の作成や報告会を行い、集まっていただいたみなさんと話し合い、何が出来るのか、どうあるべきなのかを話し合った。そのような時間を私たちはとても意味のあるものだと思っている。

ゴミ集積所に隣接する村にある、NGOにより運営されている寺子屋を訪問。この子どもたちのなかには大人たちと共にゴミを拾う子もいる。
ゴミ集積所に隣接する村にある、NGOにより運営されている寺子屋を訪問。
この子どもたちのなかには大人たちと共にゴミを拾う子もいる。

私たちAFN大阪は、そのような具体的な行動をしていく中で一人ひとりの人間として、アジアの人々と実際に時を過ごすことを通じて私たちはどうありたいのか、どうあるべきなのかを追求していきたいと思っているからだ。
 これからも私たちの地道な活動は続く。私たちに伝えたいという意思がある限り、AFN大阪は伝えることを通して自分はどうありたいのかという追求を続け、カンボジアで出逢った人々と共に生きることを諦めない。