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国際人権ひろば No.78(2008年03月発行号)

特集・世界の人権教育のいま Part 3

アジア・太平洋地域の人権プログラム-「人権」を冠した学位を授与する大学院教育

阿久澤 麻理子(あくざわ まりこ) 兵庫県立大学教員

 いま世界では、人権について体系的・専門的に学び、研究し、人権を冠した学位(修士・博士号)を取得できる大学院プログラムが、約80の大学にある。[1]
その分布は表1にみるとおり、実に世界のあらゆる地域に及ぶ。アジア・太平洋地域についても、表2に示した高等教育機関が多様なプログラムを提供している。
 人権教育・研究を専門とする大学院の設置が世界各地で進んだのは、ポスト冷戦期のことである。たとえば発展途上国や旧社会主義国の場合、民主化が進むとともに、人権に関わる法・制度の整備が進み、人権の専門家を養成すことが急務となった。またヨーロッパではEUの統合が進み、かつてイデオロギーと政治体制を異にしていた国々が、域内で共に民主主義と人権を促進する環境が整った。人権プログラムはこうした背景から誕生した。

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日本の大学における人権教育との比較


 日本では、「同和対策審議会答申」(1965年)が同和問題の解決のために、教員の資質を向上させる必要性について指摘して以来、教員養成学部において同和問題に関する講座の開設が広がった。
 また、さらに70年代以降には、人権にかかわる運動の高揚とともに、学生からの要望が高まり、多くの大学が一般教養科目としても人権関連科目を開設するようになった。ただし学部レベルが中心で、多数の科目が開設されているものの、それらは個別の授業にとどまっており、人権を専門的に学ぶよう複数の授業を体系的に組み合わせたプログラムはない。また、「人権」学位を授与する大学院教育もまだ存在しない。
 学部レベルの一般教養科目を通じて行われる人権教育は、どちらかといえば、幅広い市民意識の向上と、人権を根付かせる社会基盤づくりを目的としているが、これに対して大学院教育は、専門家・実践家の育成や、リサーチを重視する。社会的ニーズの把握、既存の法・制度などの検証、新たな政策提言を活発化させる大学院教育は、人権政策を動かす"エンジン"にたとえられよう。
 

人権プログラムの特徴


(1)法学だけでなく、学際的プログラムの増加
 さて、世界各地の大学院レベルの人権プログラムには、いくつかの特徴がある。人権に関する専門教育・研究は、これまで憲法学や国際人権法の領域を中心に行われてきたが、ポスト冷戦期には、学際的な人権プログラムが増加した。法学、哲学、倫理学、神学、歴史学、社会学、文化人類学、政治学、心理学、教育学など幅広い領域を組み合わせ、教育・研究が行われている。なお、法学を専門とするプログラムの場合、LL.M(法学修士)、学際的なプログラムはMA(修士)を授与されることが一般的である。
 もっとも、学際といっても、限られた人数の指導教員がすべての領域をカバーするのは難しいから、大学によってウエイトの置きかたには違いがあり、それが個性となっている。各大学の科目をみると、人権の歴史・哲学、国際人権法についての科目はほぼ共通に開講されているが、それ以外はちがいがある。たとえばタイのマヒドン大学では「人権リサーチ方法論」を開講し、リサーチ力の強化に力を入れている。人権に関するアドボカシー(提唱・提言)のためには、信頼できるデータの収集と分析が欠かせないからである。また、発展途上国においては、NGOや公的機関が実施した開発プロジェクトの評価は、ドナー(助成団体、国際機関など出資者)が行う。しかし、 ドナーの関心は費用対効果などに偏りがちで、市民社会の視点、人権の視点からの評価は十分ではない。
 一方、カルカッタ大学では、文化人類学の視点からもリサーチ指導を行っている。その理由を尋ねたところ、プログラムの創設者からは「ダリットに対する差別など、文化や慣習、宗教の名の下に行われてきたアジアの人権侵害にアプローチするには、西洋的な法学中心の研究では、十分ではない」との答えが返ってきた。
 また、オーストラリアのカーティン工科大学では、法学の専門家で、本国では外交官であるが、あえて学際的プログラムを選んで留学したというパキスタン人学生に出会った。「長年法学を通じて、制度の側から人権を見てきたので、今度は市民社会の側から学びたいと思った」と語ってくれた。

カーティン工科大学の授業のもよう
カーティン工科大学の授業のもよう

(2)専門的研究だけでなく、現場の実践を学ぶ
 第二の特徴は、専門的研究と現場の実践との融合が重視されていることである。各大学ともNGOや国際機関、国内人権機関等と連携し、講義、フィールドワーク、インターンシップへの協力を得ている。ただし、ここにも個性がある。たとえば、マヒドン大学の場合、バンコクには国際NGOや国連機関、外国政府の援助機関などの、アジア・太平洋地域オフィスが多数あるから、開発と人権についての現場にそくした活動が活発である。また、カーティン工科大学では、むしろ学生が主体となり、実施するグループ・プロジェクトを重視しており、コミュニティにおけるプロジェクトの計画・実施が授業の一環に組み込まれている。

(3)英語によるインターナショナル・プログラム
 第三の特徴は、大半がインターナショナル・プログラムとして、英語による教育・研究を行っていることである。人権が、国籍、民族、出身地、言語、宗教、性別などの違いを越えた普遍性を持つならば、違いを越えた対話こそ重要であり、英語が対話を媒介する役目を果している。
 また、学際的プログラムが多様な専門性や職業経験を持つ学生をひきつけている。教室では、たとえば移住労働問題に取り組むNGOと入管職員、難民と国際機関の職員、異なる国の国内人権機関の職員どうしが共に机を並べて学んでいるが、こうしたプログラムがなければ、対等な立場で議論しあう機会はあまりないと思われる「組み合わせ」である。人権についての共通理解と議論を深めた卒業生が、将来、異なる現場で活躍するようになれば、アジア・太平洋地域の人権状況は大きく前進するに違いない。
 

人権研究・教育にとっての、インターナショナル・プログラムの弱点


 一方、インターナショナル・プログラムには、弱点もある。高等教育の大衆化、グローバル化の中で、世界各地の大学は国境を越えて優秀な学生を獲得すべく、しのぎをけずるようになっているが、国際競争においては「世界の共通語」たる英語が大きなパワーを持つ。
 英語圏の大学に留学生が集中する状況に巻き返しをはかるため、英語圏以外の大学も、国際的な人材の確保と、自国の学生の国際性を高めるため、英語のみで指導を行う学部や学科、大学院プログラムを設置するようになったいま、インターナショナル・プログラムは、大学がグローバル化時代の競争を勝ち抜くための手段である。
 しかし、人権プログラムがグローバル化の勝ち組をつくる教育になってしまっては矛盾である。とくに、英語で大学院教育を受け、理解することのできるのは、アジア・太平洋地域の多くの国々では、ごく一部の人びとである。草の根で地道に人権問題に関わる活動家や、経済力はなくとも熱意や行動力のある人材を積極的に受け入れるためには、奨学金の充実をはじめ、多くの工夫が必要となる。
 たとえば、カーティン工科大学では、人権に対する熱意と経験があれば、必ずしも大学卒業資格がない者も入学することができるようなシステムを持っている。これは「人権修了証コース」と呼ばれており、半年間で限られた科目を履修し、修了できれば正式に大学院課程へと移行することができる。半年の間に、教員が多様なサポートを個別に行い、スムースな移行を支援することが目的で、たとえば、英語での読み書きに困難のある先住民や難民の学生への指導、論文の書き方や文献やデータの集め方がわからない学生への指導などが行われている。
 また、マヒドン大学は当初、英語だけで人権プログラムを実施してきたが、2007年からタイ語によるプログラムも開始した。英語中心の教育・研究体制のみでは、研究成果がローカルに還元されにくく、地元の社会に貢献することが難しかったからである。
 グローバル化の中で猛烈な勢いで進む大学改革の中に、大学教員として身を置く私には、人権プログラムは規模は小さくとも、グローバリズムへの抵抗の拠点としても重要であるように思える。大学が大規模化、一極集中化、英語化によって国際競争力を高めようとする中で、学生も、研究者も、地域社会に根ざして研究や教育をすることを忘れていくことが危惧されるからだ。
 そしてまた、グローバル化の中で、市民が地域から人権政策を具体的に提言できる力をつけるために、日本の大学でも人権プログラムが一日も早く開設されることが期待される。

1. 大学数は、Human Rights Toolsのサイトをもとに、筆者が把握している情報を加えて算出した。(http://www.humanrightstools.org/masters.htm 2008年1月30日アクセス)